現代社会において「正しさを貫く」には何が必要でしょうか。ここでは武士道が重んじた「義」と「智」の本質から、迷いを断ち切る勇気と、自己を磨き精神性を深める真の学びについて探求します。
What does it take to stay true to what is right in modern society? By exploring the essence of Gi (righteousness) and Chi (wisdom) valued in Bushido, we delve into the courage needed to dispel doubt, and the true learning that refines the self and deepens spirituality.
義(正しい道)を行うには、なぜ「勇気」が必要なのか
「義を見てせざるは勇なきなり」は、私にとって特に好きな孔子の教えです。
この言葉を口に出し、自分を奮い立たせたことが幾度あったかしれません。
なぜ、そうしなければならなかったのか。
それは迷いが生じていたから。どうすればいいのか決めかねて、迷ってばかりいる自分に嫌気がさし、断ち切るような気持ちで言い聞かせていました。
孟子は「義は人の道なり」と述べています。
人として正しい言動ということですが、それは「天に恥じない道理」であることを忘れてはならないでしょう。
残念ながら、人間社会は必ずしも正義が受け入れられるわけではありません。
だからこそ迷いが生じ、それを断ち切るために勇気が必要となるのです。
歴史を顧みればどの時代も程度の差こそあれ、そうしたものだったことがわかります。だから天に恥じることのない義を行う者は勇気ある者ということになるわけです。
多くの場合、勇気というと「勇猛果敢」といったような印象を抱くことでしょう。
けれど単に突き進むだけではなく、動じないこともまた勇気です。むしろ動じない、静的な勇気の方が発揮するのは難しいかもしれません。「肝の据わった人」というのは、どんな状況でも冷静に現実的対処をしていく性格の持ち主を指すのです。
常に正しいと信ずることを実行していく、逆境においてなお落ち着いて淡々と成すべきを成していく。
このような勇気は、いったいどうすれば培うことができるのでしょうか。
江戸の「止め女」に学ぶ、現代に必要な女性の力と母性
考えてみれば、ふだんの何気ない生活の中でも、常にちょっとした勇気を必要とするものです。
たとえば「今これをすべき」とわかっているのに、つい後回しにしてしまう。そのようなことは誰にでもあるのではないでしょうか。
また、昔と違って若者達の行動を注意する大人がすっかり減りました。トラブルとなり、事件にまで発展したケースが少なくないためでしょう。
「危険だから言わずにおいたほうがいい」
社会の変化に伴い、そう判断をせざるを得なくなったのは残念です。
「あえて義を行わないあり方」が蔓延すれば、ますます社会は野蛮になるでしょう。
驚いたことに、江戸時代には男同士の争いを身を挺して止める女性がいたのです。
そんな女性のことを「止め女」と言いました。
男として女性に手を挙げるわけにはいきませんし、また、その行動の背景に、わが身を省みず我が子を助けようとする母性も感じたのでしょう。酒場にありがちな喧嘩も、たいてい治まったといいます。
・・・もっとも、現今はこれもまた誠に残念ですが、江戸時代のようなわけにはいかないようです。
相手が女性とみれば逆に強気になる。
女性が被害に遭っている現実を思えば、「止め女」の勇気に学ぼうなどとは、私も言えなくなってしまいました。
ただ、この心意気だけは忘れずにいたいのです。
「知」から「智」へ。人格を深める「体得」と真の学び
江戸時代の日本人の識字率は世界トップクラスといわれていました。今でも日本は高学歴社会といえます。
しかし両者には明確に異なる点があると私は考えます。
それは、江戸時代は「智」であったのに対して、現在は「知」であるということです。
「智」は学んだことが行動に表れ、その繰り返しにより人格に深みと品性が備わることといえます。
それに対して「知」は単に頭での知識に留まることです。学びを「知」の時点で止めておくと、それを他者に誇るようなことがなきにしもあらず。そうなると人格に悪影響を及ぼします。
学んだことを実行し淡々と継続するうちに、深い意味や意義に気づかされる瞬間が訪れます。
これが「体得」であり、「知」が「智」になった時だと私は理解しています。すると自分の内的宇宙が広がり、さらには大自然や宇宙の真理、つまり天というものが理屈理論ではなく感覚的につかめるような気がします。そして「天を恐れよ」「天を敬え」ということが「頭」ではなく「心」で、つくづく実感されるのです。
学びとは「至らなさを知る」ため。それが謙虚さと感謝を育む
「人はなぜ学ぶのか」と問われた時、私は「自分の至らなさを知るため」と答えます。
親になって初めて親の有り難さがわかり涙するのは、至らなかった自分を恥じ、そんな自分をも慈しんでくれた両親に深い感謝の念を抱くからでしょう。
天も同じです。限りない恩恵を蒙っておきながら、しかしそれに気づくことなく生きてきた。
「ああ、なんて恩知らずだったのだろう」と自分を恥じることこそが「廉恥(恥を知れ)」の真意ではないでしょうか。
真の学びは人は謙虚にして感謝を抱きやすくさせるのです。
それは自ずからその人自身と周囲の人を幸福にしていくことでしょう。
「智」が深まれば、義を行うための「智恵」「叡智」もまた生まれるのではないでしょうか。

日本人の精神性と「生きる知恵」を学びたい方へ
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今、人類はかって経験したことのない時代を生きています。
そんなとき、確かな力となるのは「本質」「本物」「普遍的な真理」です。
「かたよらない、とらわれない、こだわらない」という空(くう)の心や、日本人が古来より大切にしてきた精神性は、私たちが自分を見失わずに生きるための、力強い「軸」となってくれます。
日々の喧騒から少しだけ離れ、こうした先人たちの深い智慧や「日本美」、そして自分自身の心を調える「人間学」を、私と一緒にじっくりと学んでみませんか。
私塾マリアカデミィは、年齢や職業に関わらず、現代を心豊かに生きるための知恵を語り合う「現代の寺子屋」です。
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