『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』
武士道は、決して男性だけの美学・哲学ではありません。女性には女性の矜持である「武家の女の道」がありました。12年前に出版され、長きにわたり多くの方に読み継がれてきたベストセラー『女子の武士道』。形を変えた乱世とも言える今 […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第八回 常在戦場——書と茶の湯は、なぜ心を静めるのか
書や茶の湯は心を静めるため 急激な景気悪化に対応しきれない明治政府のもと、各地で労働運動や暴動が相次ぎました。なかでも明治四十年の足尾銅山での暴動は軍隊が出動して鎮圧したほど大きなものでした。言論弾圧もすさまじく、民衆 […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第七回「武家の娘は泣いてはいけない」の本当の意味——泣いてよい涙とは
祖母の矜持四 自由と身勝手をはき違えてはなりませぬ 武家の躾を受けた者は、迷うことなどないのでしょうか。そのまま疑いもなく素直に、受け継がれてきた哲学や美学に基づいて生きていけるものでしょうか。 そうではありません。 […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第六回 運命を受け容れるということ——左目を失った少女と「心眼」
祖母の矜持三 目に見えるものに振り回されぬよう心の目を開く 祖母が左目を失明したことは、本人はもちろん両親をも苦しめました。このままいけばいつ嫁いでもいいと思っていたのですから、よほどの落胆だったでしょう。十六歳で嫁ぐ […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第五回 なぜ幼い娘は危難に動じなかったのか——知行合一という武家の躾
知行合一を重んじる武家のしつけ 祖母は七歳にも満たないころから中国の四書『中庸』『大学』『論語』『孟子』を与えられました。これらは武士の必読の書として与えられます。なかでも『論語』については特にくりかえし学びました。 […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第四回 武士道は死ぬためのものか、生きるためのものか——「明治武士道」という視点
武士道は時代により、その現れ方が変わる 明治時代の日本は、文明開化の名のもと、富国強兵、殖産興業のスローガンを掲げ、西洋の大国と肩を並べようと懸命でした。けれど国の財政はひっ迫しており、庶民は貧しい暮らしを余儀なくされ […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第三回 「武士は食わねど高楊枝」の真意——誇りを守るやせ我慢
祖母の矜持二 空元気でも元気は元気。そのうち本当の元気が湧いてくる 祖母の生家は、維新後は帰農しました。「帰農」というこの言い方にはわけがあります。 武士といっても身分制度が成立するまでは、ふだんは田畑を耕す農民でし […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第二回 おなごがでたらめになれば、世の中がでたらめになる——武家の女性が担った「義」とは
祖母は、幕末に生まれた両親から、人としての道義を学びました。それは日常生活の中で、日々、実践を伴いながら、くり返し魂にすり込んでいくようにして習得されていきました。そしてやがては祖母という女性そのものをかたどっていったの […]
連載『新版 女子の武士道 武士の娘だった祖母の矜持』第一回 武士道は男性だけのものではない——武士の娘だった祖母が遺した問い
武士道は、決して男性だけの美学ではありません。本稿では、激動の時代を生きた米沢藩士の娘である祖母の手記を入り口に、近代以前の日本女性たちが持っていた意外なほどの「自由」と、時代が移り変わるなかで彼女たちが見出した「内なる […]
「私が我慢すればいい」を卒業する。日本の美徳と武士道に学ぶ、大人の生き方Q&A
「自分が無理をして我慢すれば、すべてが丸く収まる」――そうやって日々の生活や家庭、職場で、自分をすり減らしていませんか?私たちが「日本の伝統」だと思い込んでいる従順な女性像や男尊女卑の風潮は、実は近代のわずか150年ほど […]
「男尊女卑」は輸入モノだった!?古事記から読み解く、日本女性の本来の自由と強さ(女性フォーラムでの講演ご感想)
2026年2月28日、WFWP女性フォーラムにて「社会の元気は女性が掌っている」と題したオンライン講演を行いました。女性性の時代を迎え、あらためて考えたい私たち日本女性のあり方。その本当の自由さと強さについて、皆様から寄 […]
【武士道とは】「義」と「智」が導く、迷いを断ち切る勇気と真の学び
現代社会において「正しさを貫く」には何が必要でしょうか。ここでは武士道が重んじた「義」と「智」の本質から、迷いを断ち切る勇気と、自己を磨き精神性を深める真の学びについて探求します。 What does it take t […]





