春の盛りを迎える四月。二十四節気の「清明」や「穀雨」に寄せて、日本人が古来より桜に託してきた特別な想いを紐解いてみました。
平安の昔から変わらぬ桜への憧憬や、散りゆく美しさに宿る無常観、そして母との思い出が残る仙台坂の桜まで。
歳を重ねるごとに深まる「今、ここにある春」を愛でる心の在り方を提案します。
In this column for April (Uzuki), author and Bushido researcher Mariko Ishikawa explores the profound spiritual connection between the Japanese people and cherry blossoms. As the season transitions from "Seimei" to "Kokuu," she delves into the Buddhist concept of "mujo" (impermanence) and shares a personal reflection on her mother’s longing for the blooms near the historic Sendai-zaka. Celebrating her own birthday amidst the blossoms, she explores how the appreciation for spring deepens with age, offering a guide to savoring the ephemeral beauty of life and nature.

もしも桜がなかったら

ある朝、大気が緩んでいることにふと気づく。空を眺めると、ごくわずかに霞がかかっている

行きつ戻りつしていた季節が、いよいよ春に向かっていく時です。ほのあたたかい東風が吹き、足もとの草花はぐんぐん育ちます 。
二十四節気では春分から十五日を数えた日が清明。だいたい四月四日頃にあたります 。
そして七十二候は四月四日~八日頃が「玄鳥至」、四月九日~十三日頃が「鴻雁北」、四月十四日~十九日頃が「虹始見」と続きます 。
待ちに待った桜が咲いて、やわらかな東風にのってツバメや雁が悠々と飛ぶ、そんな光景が暦からも感じられますね 。

桜と日本人の心、無常観の美学

この時期の楽しみは、なんといっても桜でしょう。
桜花が咲き始める瞬間のときめきを、なんと称すれば良いのでしょう 。「自分は日本人だなぁ」と実感する機会はいくつかありますが、私は桜の開花の頃が、最も民族の心が目覚めるのではないかと感じています。それほど日本の春は特別です 。

日本で「花」といえば桜を指しますが、それは平安時代からのこと 。奈良時代までは唐の文化が色濃く、『万葉集』では梅を詠った和歌が多かったのです 。それが『古今和歌集』では逆転しました。はかなく散ってしまう桜は仏教の根本思想のひとつである無常観と相まって、貴族たちの心をとらえたのでしょう 。実際、すべてはうつろい、永遠なるものはありません。人生にも盛衰はつきものです。ゆえに人の命や一生を桜に重ね合わせるようになったのでしょう 。このように春は単なる喜びだけに染まるわけではないからこそ、愛おしむ気持ちが高まるのです。あまりに美しいからこそ、惜しむ想いも強くなる 。在原業平の和歌には、そんな心情が鮮やかに表れています。

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(『古今和歌集』)

「桜がなかったら、春はもっとのどかに過ごせただろうに」だなんて、いったいどれだけ桜が好きなのかと思いますね(特定の女性を桜に例えたのかも知れませんが) 。
桜がいつ咲くかと待ち、ほころんできたのを見つけて喜び、満開には歓喜を抱いたものの、あっけなく散ってしまうのを淋しく見送る 。
散る様子もまた美しく、最後まで桜は私たちの心を惹きつけるのです 。


桜の一生を追いかける美しい言葉

桜への想いは、言葉にも表わされています。
「初桜」「若桜」「花影」「花の雲」「花霞」「花明」「花吹雪」「花嵐」「花筵」「花篝」「花筏」「残花」・・・まだまだあります 。
いずれも、わずかにほころんだ一瞬から、散ったその後までが表現されていて、まるで桜の一生を追いかけているようですね 。
私たちも桜の季節を存分に味わいましょう。
年に一度の特別な時なのですから 。
わたくしごとで恐縮ですが、私はちょうど桜のころに誕生日を迎えるので、感慨深さもより一層のものとなります。
しかもその感慨は歳を重ねるほどに深まるのです。
ああ、今年も春を迎えることができた。そんな想いはこの先さらに深く深くなっていくのでしょう。

そういえば今はもう世を去った母も、毎年春を前にすると「桜が見たい」と言い出すのが常でした。
私はそのたびに切なくなったものです。
「いいね、行きましょうよ、だってすぐそこにだって咲いているのだから」

母が滞在していたホームは品川区の仙台坂近くにありました。江戸時代までは仙台藩の藩邸があったところです。そこには見事な老木があり、毎年、春にはあたりを淡く染めるのでした。


青空と、遠くまで続く満開の桜のトンネルを背景に、大地に一人立つ石川真理子の全身像。彼女は白いブラウスとロングスカートを着用し、左手に麦わら帽子、首元に紫色のストールを巻き、清々しい空気の中で、桜に囲まれた空を見上げている。左右の桜の木が、彼女を包み込むようなフレームとなり、広大な自然の中に身を置く、凛とした一瞬が捉えられている。

百花繚乱の季節へ、日常を優雅に彩る

日本列島が薄紅色に染め抜かれたかと思うと、今度は色とりどりの花が競い合うように咲き出します 。
四月二十日頃は穀雨。花たちはあたたかい雨に誘われるようにほころぶのです 。
穀雨は、その名の通り穀物を育てる雨でもあり、種まきや苗を育てるのに適した時期とされます 。
七十二候では四月二十日~二十四日頃が「葭始生」、四月二十五日~二十九日頃が「霜止出苗」、四月三十日~五月四日頃が「牡丹華」と続きます 。

葭が水辺で伸び始め、もはや季節が逆戻りしたように急な寒さが来て苗の生育を阻むこともありません 。
やがて華やかさでは一、二を争う牡丹が咲き始めます 。花と緑に彩られ、お出かけも楽しくなりますね。
花見弁当を持って自然の中で過ごすのもいいものです 。
その際、ぜひ天然素材のお弁当箱を使ってみてください 。曲げわっぱでもいいですし、白木や漆のお重もおすすめです 。
たったこれだけで、花見弁当が特別なものに見えるのです 。
花を愛でるひとときが、より優雅になりますよように 。

満開の桜の木の下で、白いブラウスとロングスカート姿の石川真理子が立ち、右手を高く掲げて、舞い落ちてくる桜の花びらを受け止めようとしている。彼女は優しい表情でその手を見つめており、背景には桜の森が白く霞むように広がっている。ライカ・タンバールレンズがもたらす、光が飽和したような白く柔らかい描写が、彼女の周囲の空気を清らかで神秘的なものにしている。

写真撮影:魚住心(leica) Shortlisted in The Nature Photography Contest 2025(final round)


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和敬美学の会6期 日々の暮らしを慈しむ、日本文化の教養

2026年は、自分自身の「足元」を深く愛する一年へ。 情報が溢れ、価値観が目まぐるしく変わる時代だからこそ、 私たちはもう一度、自分たちの足元にある「日本の暮らし」…