弥生三月、春の訪れを五感で捉え、心身を健やかに整えるための知恵をまとめました。本記事では、作家の石川真理子が二十四節気の「啓蟄」や「春分」にまつわる日本の繊細な美意識——「帷子雪(かたびらゆき)」や和歌に見る生命の息吹——を紐解きます。
あわせて、春特有の心身の揺らぎを整える「苦み」の食養生や、姿勢・呼吸による調整法など、現代を生きる私たちが季節と調和するための具体的な指針を提示します。

In this column, author and Bushido researcher Mariko Ishikawa explores the profound aesthetics and wisdom of the Japanese spring, focusing on the month of March (Yayoi). The article provides insights into traditional seasonal observances such as "Keichitsu" (the awakening of insects) and "Shunbun" (the Spring Equinox), alongside practical guidance for balancing the mind and body during this transitional period. Through the lens of Japanese culture—incorporating seasonal "bitter" foods and mindful breathing—this piece serves as a comprehensive guide to navigating early spring with grace and well-being.

 弥生三月の暦は、五日頃が啓蟄、二十日が春分です。
啓蟄は虫が目覚め動き出すことを象徴し、春分は立春から始まる春の中間地点に位置します。
春分を中心に前後三日間を合わせた一週間がお彼岸となります。
お彼岸というと、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を想い出す人も少なくないことでしょう。
母が決まって言っていたので、私もすっかり口癖になってしまいました。

 この言葉が表わすように、この時期は季節が行きつ戻りつを繰り返します。
啓蟄の頃は、まだまだ寒い日もあり、関東でも牡丹雪が舞うこともあります。
ただ、牡丹雪は水気を多く含んでいますから、それもまた厳しい寒さが緩み始めていることを教えているのです。
うっすらと積もった雪を昔の人は「帷子雪」と表現しました。
絹や麻で仕立てた夏の帷子に見立てたのです。

 厳しい冬をあたたかな土中で命を繋いだ虫が目覚めていくということは、虫たちを養う草花も芽吹きを迎えます。
草花は虫に食われることで子孫を残すためでしょう。
「下萌え」「草萌え」という言葉は、冬枯れた大地の下から、ぽつぽつと草の芽が出ていることを表わします。

権中納言国信は

「春日野の下もえわたる草の上に つれなくみゆる春の淡雪」(『新古今和歌集』)

と詠みました。
雪と大地と草の芽と。
風景を想像してみてください。
静けさの中に確かな息吹が見えている、それを察知できる感性こそが日本の美意識ではないでしょうか。

 七十二候では、三月六日から十日頃までを「蟄虫啓戸」、十一日から十五日頃までを「桃始笑」、十六日から二十日頃までを「菜虫化蝶」としています。
桃の花が咲いて蝶々が舞い始める頃には、菜の花もあちこちで見られます。
一面が明るい黄色に染まる菜の花畑は、たとえるなら久しぶりに会った幼なじみのよう。
春の喜びを想い出させてくれる花のひとつでしょう。

 お彼岸になると、昼日中はだいぶ暖かくなりますね。
七十二候では二十一日から二十五日頃が「雀始巣」、二十六日から三十日頃が「桜始開」、三十一日から四月四日頃が「雷乃発声」。
久しぶりに再会した幼馴染のように、私たちの心に温かな喜びを運んでくれます。
そしてお彼岸を過ぎれば、雀が巣を作り、桜が咲き始め、遠くで春の雷が鳴り響く――。
季節は一気に、瑞々しい新緑の季節へと加速していきます。



 春になるとわけもなく気持ちが沈んだり、悲しみがこみ上げてくることがあります。
これだけ天地がうごめいているのですから、それも致し方ないことでしょう。
心が揺れ動くのは森羅万象と共鳴しているからで、それだけ感性が鋭く豊かな証ともいえます。そんなふうに受け止めるだけで、少し気持ちがほどけませんか?

また、三月は年度末のため生活が変わることもあります。
出会いと別れが情緒不安定の原因になることもあるでしょう。
私もそうなのですが、花粉症で体調が常に今ひとつ・・・、という人も多いですね。

春は体も目覚めていこうとしています。
そんな時に昔から良いとされるのが苦みのある食べ物です。
フキノトウやツクシ、セリ、ゼンマイなどの山菜は、ほどよい苦みで体を目覚めさせてくれます。
苦味のある山菜には、ポリフェノールやミネラルが豊富に含まれており、胃腸の働きを助け、新陳代謝を促進とされているのです。
冬の間に溜め込んだ老廃物を排出する助けとなってくれますよ。

実は私、一時期、食べられる野草に凝って、近くのちょっとした山に野草摘みに出かけていました。逗子で暮らしていた頃のことです。
けっこう歩くため良い運動にもなりました。
苦みのある食べ物をいただき、冬の間の運動不足をも解消できたため、血行が良くなりストレス発散にもなっていたようです。
この時期は積極的に歩いたり、寝る前にストレッチをするなど適宜体を動かすよう心がけてみましょう。
体からアプローチすることによって、案外、情緒も安定していくこともあるものです。
あとは、やはり姿勢と呼吸です。姿勢が悪いと呼吸が浅くなります。
寒さのためギュッと肩に力を入れるのが癖になっていませんか?
気が上がっていると不安定になります。肩の力を抜いてリラックスし、ふうーっと息を吐きながら丹田に気を降ろすイメージをしましょう。
これを何度か繰り返すだけでも気分がスッキリします。
あとは、口角を上げるのも忘れずに。春の喜びを表現するつもりで微笑んでくださいね。

青空へ向かって咲きほころぶ木蓮(モクレン)の花。作家・石川真理子のコラム『3月:弥生』のために、写真家・魚住心がライカで撮影した春の息吹。来歴情報(Cr)を持つオリジナル写真です。
春先に咲く紅木蓮の花。撮影:魚住心(ライカ・タンバール)

日本の文化と、その美意識は、私たちの暮らしの中に息づいています。和敬美学の会6期では、そんな身近な日本文化にスポットを当てました。
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和敬美学の会6期 日々の暮らしを慈しむ、日本文化の教養

2026年は、自分自身の「足元」を深く愛する一年へ。 情報が溢れ、価値観が目まぐるしく変わる時代だからこそ、 私たちはもう一度、自分たちの足元にある「日本の暮らし」…