「和敬美学の会」第6期・第5回目を開催いたしました。 今回のテーマは『柳宗悦と民藝。「用の美」に見る無心の美徳』。日々の暮らしに静かに寄り添う手仕事の美しさ、そしてそこにある「無心」という美徳について、皆様と深く味わうひとときとなりました。講座を終え、受講者の皆様から心温まる感動のご感想が届いております。 日常の景色が少し変わって見えるような、素敵な気づきに満ちた言葉の数々を、どうぞご覧ください。(※今後、いただいたご感想を順次こちらに追記してまいります)
【受講生の声】日々の暮らしが愛おしくなる、無心の美徳と温かいひととき
“民藝“と聞いても、正直何の事⁇という感じでした。
言葉でうまく表現できないのですが、
欲しくても買えなくって、やっとの思いで手に入れたものを大切そうに手入れをしていた、幼少期の祖父母の様子がオーバーラップして来ました。
使い込んで・使い込まれて、心を通わせ合うような感じ。
いつの間にか、忘れていたかもしれません。
「知を主座に置くものは、美を見ることはできないであろう。」
この言葉が今回はとても心に沁みるものがありました。
真理子先生が自分のお仕事に置き換えてお話していましたが、私も自分のことを振り返って見ると無意識にしたことの方が、周りから喜ばれたりしている様に感じます。
これまでも心がけて来ました(つもり⁇)が、日常に埋没してしまいがちな志なので、この言葉を書き出して目につくところに貼っておこうと思います。
今期の講義を通して感じていることは、真理子先生が楽しそうだと言う事。
世の中が混沌としがちなので心が安らぎます。
そのままの真理子先生がいい感じです。
(T.Hさんより)
第5回講座を通して、私にはまったくなかった視点でしたので新鮮でした。家の家具や食器の見る目が変わりました。心が豊かになり、扱い方も変わりますね。
もったいないからとしまい込んでいる物は、高めの食器類や花瓶です。
普段、物をどのように扱っているかというと、洗うときは丁寧に洗っていますが、食器についてはただの入れ物と思って扱っていました。
民藝の思想に触れて、気づいたこと、感じたことは、
「用いるにつれて器の美は日増しに育ってくる。用いられずば器はその意味を失いまた美をも失う。」
このような視点は私の中にはまったくありませんでした。
早速、しまっていた陶器の皿を出して料理を盛り付けてみました。
割れる心配がなく、取り扱いが便利なデザインで買ったプラスチック製の容器とは全然と違って料理と皿がなじんでいるような気がしました。生き生きしているような感じでした。
家の窓から見える川と木々を見ながら民藝の椅子に座り、横に棚を置いて読書やお茶を飲んでみたいと思いました。費用面で難しそうですが、想像するだけで眠っている感覚が開くような気がしました。
おすすめくださった河井寬次郎記念館は出身大学の近くにあり、電車一本で行けるので行ってみて感じてきたいと思いました。丹波篠山oitoもとても素敵ですね。静かな時間を過ごしてみたいです。
7年前両親と過ごした家からマンションに移った時に陶器類をだいぶ廃棄してきました。仕事をしながらの引っ越しであまりに量が多かったので選別も適当で、洋食器を優先してました。とても残念なことをしたと思いました。次回も楽しみにしております。(A.Nさん)
我が家には、もったいないからしまい込んでいる物など特にないなぁと思いました。
私は漆塗りのものが好きでいくつかあるのですが、お椀や小さなお盆など使ってみると、とても贅沢な気持ちになります。
普段、とても雑な性格が災いして、お皿など欠いてしまうときがあります。
土鍋の蓋も一度落としてしまい、今は2代目に働いてもらっています。
ご紹介くださった、民藝に触れることのできるスポット、今年ぜひ訪れたいと思います。
実は明日から、陶芸が趣味のお友達と、韓国の利川に行きます。陶芸村があるのでそこをただ見に行く旅です。どのような器との出会いが待っているのか、楽しみです。
先生の、松本民藝家具、本当に素敵です。お家に帰りたくなるっていいなあと思いました。
最近韓国の、韓紙工芸を習い始めて小さな物を作っては、部屋で眺めて自己満足しています。アーカイブ視聴が続いてはおりますが、毎月とても楽しみにしています。
いつもありがとうございます。(Y.Kさん)



