知行合一を重んじる武家のしつけ

 祖母は七歳にも満たないころから中国の四書『中庸』『大学』『論語』『孟子』を与えられました。これらは武士の必読の書として与えられます。なかでも『論語』については特にくりかえし学びました。 「そらんじてしまうのは当たり前。けれど、学んだことを行っていなかったら、学んでないのも同然だ、と父はしじゅう言ってのう。ちょっとでも日常の行いが間違っていると、それが学んでいない証拠だと叱りつけられるのだからたまらない。けれど学んだことが大人になって役に立ったのは行ったからですからね。やはり頭だけではなりませぬ」  人生の重要な局面、そして艱難辛苦を乗り越えなければならないとき、迷うことなく冷静に正しい行動に出るというのはなかなか難しいものです。その力を身につけるためには、普通の日常生活の中で学んだことを行い、その行いからまた学び、というくり返しをすることだと祖母はいうのです。 「簡単なことであれば、やりやすいものですからの。簡単なことと思うて為さないでおくと根本が身につきませぬ。人は根っこが基本となるのです。根本がしっかりしていないなら、どうして難しいことを為せましょう。これもまた簡単な理屈ですよ」

犠牲をも厭わない行動は冷静沈着な心の先にある

 昔ながらの武家の教育にならって四書や日本史、書、お裁縫などの手習いと、幼いころの祖母の日常は大忙しでした。加えて祖母は先の農作業をはじめとする家の手伝い、ときには家計をわずかでも助けるために他家で子守の手伝いもしていました。祖母は活発な性格だったため、多少忙しくとも「かえってお転婆をすることが少なくなってよい」と曾祖母はいっていたほど。そしていつ嫁ぐことになっても困らないだろうという安堵も抱いていました。  けれどその安堵も、祖母が十一歳になる年に消し飛んでしまいました。  ふたつになるかならないかの女の子の子守をしていた祖母は、せがまれて女の子を背負い、庭に出ました。そして請われるまま飛び石をぴょんぴょんと飛んで女の子を喜ばせていた祖母は、ふとした拍子にバランスを崩してしまったのです。  祖母の脳裏に怪我をさせてはいけないという思いがめぐったのかどうか。そのまま女の子をかばいながら、祖母は勢いよく倒れてしまったのです。倒れ込んだ場所には植え込みがあり、そのひと枝が祖母の左目を突いたのでした。 「女の子の顔に傷をつけたりしては一大事」ということが、今以上にいわれていた時代です。祖母はそれを自分よりも幼い少女に当てはめて、万が一のことがあってはならないと咄嗟の行動を取ったのでしょう。  幸い女の子は怪我ひとつしませんでした。大人たちが駆けつけると祖母は左手で片目を押さえており、その手指の間からは血が止めどなく流れ出ていました。けれど祖母は痛がるようすもなく、女の子を危ない目に遭わせてしまったこと、繁忙期だというのに農作業を中断させてしまったことを詫びたのです。  祖母の咄嗟の判断は、心が平静に保たれていたためにできたことなのでしょう。そのうえ祖母は、自分のことよりも「自分を信頼して子守の仕事を頼んでくれたというのにこのようなことになって申し訳ない」という相手への礼を先んじたのです。