武士道は、決して男性だけの美学ではありません。本稿では、激動の時代を生きた米沢藩士の娘である祖母の手記を入り口に、近代以前の日本女性たちが持っていた意外なほどの「自由」と、時代が移り変わるなかで彼女たちが見出した「内なる自由」について紐解いていきます。いかなる苦難にあっても平常心を保ち、「自分の人生の主人公」として生き抜いたかつての女性たちの姿は、現代という乱世を生きる私たちに確かな指針を与えてくれるはずです。
We are proud to present the first installment of The New Edition: Women's Bushido, titled "Bushido is Not Only for Men: The Question Left by My Grandmother, a Samurai's Daughter." This inaugural post features the "Introduction" and "Chapter 1," serving as the prologue to our series.
Bushido was never exclusively a masculine aesthetic. Through the memoirs of my grandmother—a daughter of a Yonezawa clan samurai who lived through an era of profound upheaval—we explore the surprising freedoms enjoyed by pre-modern Japanese women, and the resilient "inner freedom" they cultivated as their outer world grew restricted. By examining how they maintained a serene mind and chose to be the true protagonists of their own lives amidst adversity, we uncover a timeless compass to guide us through our own modern, turbulent times.

武士道とは、武家の女の道とは。祖母が遺したいくつもの問い

日本の武士道に憧れる人は世界各地にいます。
けれど多くの場合、男性的なイメージで塗り固められています。
最初にお伝えいたします。
武士道は、男性だけの美学・哲学ではありません。女性には女性の矜持である「武家の女の道」があったのです。
ここで私は、あらためて問うてみたいのです。
武士道とは、いったい何なのか。
そして女性の武士道とは、どのようなものなのか。
日本の歴史の中で、女性はどんな役割を果たし、そもそも彼女たちはどのような存在だったのか——。
本書は、武士の娘として厳格に育てられた祖母の人生を辿りながら、いくつもの問いに向き合っていくものです。

祖母は、明治の半ばの1889年、米沢藩士の家に生まれました。
江戸時代末期に生まれた祖母の両親は、幕末の革命を辛くも生き延び、近代化の渦の中でも武家のプライドを貫きました。そして祖母は、武士の娘としての厳しい躾を受けて育ったのです。
明治・大正・昭和と、祖母が生きた三つの時代は、激動の時代でした。日清・日露戦争、関東大震災、世界恐慌、二度の世界大戦・・・。これらは祖母の娘時代から妻となり、母となり、女性として仕事にも携わっていく人生と重なり合います。そして、時代がどれほど荒れても、祖母は懸命に自分の信じるところを貫いたのです。

そんな祖母と、私は十二歳まで一緒に暮らしていました。
私の記憶に残る祖母の姿は、背筋を伸ばし、おだやかな微笑を浮かべながらも端然と座っている、そんな佇まいです。それは私の記憶にくっきりと焼きついて、失われることはありませんでした。
それだけではありません。そこからが、祖母との「真の対話」の始まりだったのです。

沈黙の手記が語る、祖母の知られざる半生


祖母が世を去って十数年の後、私は父から紙の束を手渡されました。
祖母の手記です。
もっと正しく言えば、祖母が晩年、みずから筆を執って書き残した回想録を、父が失わないようワードプロセッサーでデータ化し、印刷したものです。
そこには私の知らない祖母の半生が、祖母の言葉により、生き生きと綴られていました。
初めて知る、若い頃の祖母の姿。
結婚して、故郷を離れ、東京で何があったのか。どう対処したのか。
あえて淡々と書かれた文体が、祖母の揺るぎない精神を表しているようでした。

ただ、私は違和感も憶えたのです。
事実を拾えば明らかに大変な苦労をしている。
けれど一言も「つらかった」とか「苦しかった」という心情が書かれていなかったからです。
私は祖母の手記を抱えて、祖母の長女である大正元年生まれの叔母を訪ねました。叔母は「生き字引」と言われるほど、祖母のことをよく知っていたのです。そればかりではありません。米沢藩士だった祖母の両親のことも、仙台藩士だった祖父の一族のことも。  祖母が手記の中で語ろうとしなかったことは、叔母が余すことなく教えてくれました。その結果、祖母の生涯が克明に浮かび上がったのです。

祖母の物語は、読む人の心を打ちます。
けれど私は、打たれると同時に、問わずにいられませんでした。なぜ祖母は、そう決意し、そう動いたのか、と。
祖母は、歴史に名を残した偉人ではありません。武家といっても大名家のような高い家柄でもないのです。あくまでも市井の女性にすぎません。
そして、「だからこそ」と私は思うのです。
無名の一女性がそうであったのなら、それは「時代の色」でもあったのではないか、と。祖母は例外ではなく、ひとつの時代を生きた女性の典型であり、たしかな証人なのではないか、と。

歴史が証明する、かつての日本女性の「自由な在り方」

 私の中に生まれた「なぜ」という疑問を辿るうちに、私は意外な事実に行き当たりました。
近代より前の日本女性は、私たちが思い描く「虐げられ、何も決められなかった女性」とは違っていたのです。彼女たちは離縁し、再婚し、みずから土地を持って売り買いし、自分の家来を従え、後家として一国の政(まつりごと)を動かし、ときには甲冑をまとって戦にも出ました。江戸時代の離婚率は、今よりむしろ高かった。
三くだり半でさえ、夫が妻を一方的に追い出す証文ではなく、妻が次の人生へ進むための許し状だったのです。
もちろん、すべての女性がそうだったとは言えません。でも、それは現在でも同じことです。現在を生きる私たちが、それぞれ異なる境遇で異なる選択をしているように、かつての日本女性もそうだったということです。
しかし、その意外な事実である女性の自由な在り方は、ある時代を境に、静かに折りたたまれていきます。明治が、女性の世界を少しずつ狭めていったのです。祖母は、まさにその狭まりゆく世界に生まれた武士の娘でした。

外の自由を奪われた祖母は、自由を内側に持ちました。
いかなる苦難にも心を乱さぬ平常心——それを、祖母は時代から強いられたのではありません。みずから選び取ったのです。

「自分の人生の主人公」として生きる覚悟


離縁を選んだ女も、政を執った女も、戦に出た女も、そして添い遂げた祖母も、選んだ中身はまるで違います。
けれど、貫いているものはひとつでした。みな、自分の人生の主人公であろうとした。鎌倉の武士が「我こそは」と名乗りを上げて戦に臨んだ、あの心です。
みずから信ずるところに従って決め、行い、そのうえで、何が訪れようとすべてを引き受ける——それが、この本で私がお伝えしたい、たったひとつのことです。

乱世とも言える現代を生きる、確かな指針として

 本書は、祖母の半生を物語として綴りながら、折に触れ、あまりよく知られていない日本女性の姿について史料をもとに述べていきます。
物語を、祖母の一人語りのようにしたのは、叔母が祖母の口まねをしておもしろおかしく語ってくれたためでもあります。
あるいはまた、祖母の手記と、叔母の語りがあいまって、私の内に祖母が蘇り、語ってくれたものでもあると思っています。
論文でもなければ、ただの物語でもありません。
次々と湧いてくる問いに対して、私が見つけた史料をその傍らに置きながら、私なりの視点で見解を示していくものです。確信を述べたら、その隣に、それを裏づける証人としての事実を添える。そうやって、一歩ずつ書き進めていきます。

時代は、人を変えます。けれど、変わらぬ核心もある。
形を変えた乱世とも言える今を生きる私たちに、五百年、百年前を生きた女性たちの姿は、ひとつの確かな指針を与えてくれる。  私は、そう信じています。