本格的な夏を迎える7月(文月)。小暑から大暑へと季節が移り変わる中、日本各地では熱気あふれる夏祭りが幕を開け、早朝の池では清らかな蓮の花が静かに咲き誇ります。本記事では、1200年以上の歴史を持つ京都・祇園祭の奥深い起源や、法然上人の和歌に詠まれた「うてな」という美しい言葉の響きを通して、厳しい暑さの中に息づく日本人の豊かな感性と美意識を紐解きます。
Welcome to Fumizuki (July), the month of vibrant summer energy in the traditional Japanese calendar. As the season transitions from Shosho (Minor Heat) to Taisho (Major Heat), historic summer festivals like Kyoto's legendary Gion Matsuri come alive, while elegant lotus blossoms quietly open in the early morning stillness. Through the profound origins of these 1,200-year-old traditions and the aesthetic beauty of the word "utena" (lotus pedestal) found in classic waka poetry, this article explores the rich sensibilities and spiritual beauty of Japan nurtured amidst the summer heat.
夏祭りの幕開け
小暑から始まる本格的な夏の風景
梅雨も終わり頃となると気温も上がり蒸し蒸しと過ごしづらい日も増えてきます。文月のはじめは二十四節気の小暑で、今年は七月五日となっています。七十二候は七日から十一日が「温風至」、十二日から十六日が「蓮始開」、十七日から二十一日が「鷹乃学習」です。熱い風が吹き始め、蓮の花はつぼみを膨らませ、空では鷹の雛が親鳥と共に飛んでいる。いかにも夏らしい風景ではないでしょうか。
1200年の歴史を紡ぐ京都「祇園祭」の起源
七月は各地で夏祭りが行われます。京都の祇園祭や福岡の博多祇園山笠、大阪の天神祭、東京では深川八幡祭りや浅草寺のほおづき市など、歴史あるお祭りはどれくらいあるのでしょう。それぞれ魅力的ですが、有名な祇園祭について簡単にお伝えします。
祇園祭は約一二〇〇年以上もの長い歴史を持ち、京都の人々が困難を乗り越えながら守り続けてきた伝統行事。その起源は平安時代の八六九年に遡ります。当時、疫病が流行し、人々はこれを怨霊の仕業であると考えました。そこで、平安京の神泉苑で、疫病退散を祈願する「御霊会」という儀式が執り行われたのです。その際、当時の国の数に合わせて六六本の矛を立て、神々に鎮静を祈願したのがはじまりとされています。この御霊会が祇園社(現在の八坂神社)の祭礼と結びつき、「祇園祭」として発展。神社の御祭神である牛頭天王(現在は素戔嗚尊)が疫病除けの神として信仰されていたことが関係しています。

町衆の力で受け継がれる山鉾巡行の熱気
鎌倉時代から室町時代には京都の町衆によって支えられるようになりました。現在の「山鉾」に通じる豪華な曳山が登場し、装飾も華やかになっていたのがこの頃と言われています。戦国時代には中断を余儀なくされた時期もありましたが、江戸時代には復活。市民の手でより華やかになっていきました。二〇二〇年のコロナ禍の時も中断され、翌年に復活したのは記憶に新しいところですね。
クライマックスは七月十七日。二二基もの山鉾が順行し、夜には神幸祭が行われます。二十四日は後祭で残りの十基の山鉾が巡行、御旅所に滞在していた神様が再び八坂神社へお戻りになる還幸祭が夜に行われ、お祭りは終わります。神さまがお鎮まりになると共に一ヶ月続いた熱気も引いていくのです。
蓮花と「うてな」

大暑の到来とゲリラ豪雨への備え
七月後半、暑さはこれからが本番です。二十二日は大暑で文字通り最も暑さが厳しくなる頃。七十二候では二十二日から二十七日が「桐始結花」、二十八日から八月一日が「土潤溽暑」、八月二日から六日が「大雨時行」です。今では「ゲリラ豪雨」という言葉も定着し、まるで熱帯地方のようです。熱帯夜が続き気力体力を消耗しやすくなるので気をつけたい時です。
早朝の蓮池に響く開花の音と静寂
この頃になると七月初めに咲き始めた蓮も盛りを迎えます。蓮の花が咲くときは「ぽん」と音がすると言われます。本当にそうなのだろうかと明け方に起きて神社の蓮池に出かけたことがありました。音は聞けなかったものの、早朝の静けさとみごとな蓮花の風景が暑さに疲れた体と心を癒やしてくれるのを感じたものです。
法然上人の和歌にみる「うてな」の美学
蓮といえば法然上人の和歌が想い出されます。
「露の身はここかしこにて消えぬとも 心は同じ花のうてなぞ」
人の命がしばしば草葉の露にたとえられるのは、いつ失われるとも知れない儚いものだから。この歌には、お互いいつどこで命を失い別れ別れになるか知れないけれど、心は同じ蓮のうてなにある、だからきっとお浄土で会えますよ、といった意味が込められています。仏教ではお釈迦様が座る台座を「うてな」と表現しています。一般敵には「台」や「花の顎」を表わしますが、いずれにしても、なんと美しい日本語でしょうか。夏の夜明け、「うてな」に座しているような心持ちで蓮花を眺めてみてはいかがでしょう。爽やかな気持ちで一日を始めることができますよ。

写真:すべて魚住心
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