「お水取りが終われば、春が来る」——。天平勝宝4年(752年)の創始以来、一度の途絶えもなく1275回目を迎えた東大寺二月堂の「修二会」。2026年の春、二度目の参列を叶えました。
闇を焦がすお松明の火と、命の源である水、そして可憐な造花「のりこぼし」に宿る不変の祈りを紐解きます。白洲正子の審美眼や写真家・入江泰吉の面影を辿り、現代の渇水という危急の中で再確認した、千年以上続く日本の「精神性の真髄」とは。
時空が溶けゆくような静寂の中で見出した、過去・現在・未来を貫く「人の心の祈り」に迫ります。
The Sacred Flame of 1,275 Years: Shuni-e at Todai-ji’s Nigatsu-do
In the ancient capital of Nara, the "Shuni-e" (Omizutori) ritual marks its 1,275th year in 2026. This "Uninterrupted Rite" has continued without fail since the 8th century, carrying prayers for world peace and the flourishing of life. From the dynamic fire of the "O-taimatsu" torches to the delicate paper camellias known as "Norikoboshi," this article explores the profound connection between ancient water rites, Japanese aesthetics, and the eternal human spirit that transcends time.

1275年目の「不退の行法」
「お水取りが終われば春が来る」
奈良では、こう言い習わされていると知ったのは、もうずいぶん前のことだ。
早春の風がふわりと吹いてきそうな言葉だと思った。
「お水取り」というのは、3月1日から14日にかけて行われる「修二会」という法会の一部で、東大寺の二月堂で行われるのが何といっても有名だ。
歴史の深みを感じるのも当然で、天平勝宝4年(752年)に実忠和尚によって創始されて以来、1270年以上(2026年で1275回目)一度も途絶えることなく続いてきた。
12日の真夜中には二月堂の前にある「若狭井」から聖なる水が汲み上げられ、ご本尊に捧げられる。
よく、ニュースなどで報じられる、大きな松明を持った練行衆(れんぎょうしゅう)が二月堂を激しく駈けていくのはその儀式の一環である。勇壮かつ幻想的、迫力ある様子も見事というほかないからだろう、「修二会」という名称よりも「お水取り」として有名になっている。
奈良に春を告げる「修二会」を、私はどうしてもこの目で見たいと思い、ついに訪れたのが3年前。
そして1275回目を数える今年、2度目の参列を叶えることができた。

聖なる水を祀る。古代から続く「命の源」への信仰
二月堂へは、手向山八幡宮に向かう道を行き、やがて見えてくる三月堂を越してゆく。
お寺に神社があるのを不思議に思う人も多いかも知れないけれど、明治まで日本は神仏習合だったので、これが本来の光景といえる。
江戸から明治に移行する当初、明治政府による太政官布告で神社と寺院を分けざるをえなくなったが、奈良時代にまで遡る歴史を持つ巨大寺院東大寺にまでなると分けようにも分けられないのだろう。結果的に現代人からすると「不思議な光景」として本来の姿をとどめることになった。
白洲正子の随筆によれば、修二会の行法そのものにも神道や修験道の要素がいくつもあるようだ。さらにいえば仏教が日本に伝わる以前、古代信仰のおもかげも見えているのだとか。
水は生命の源であり、特に農耕民族である日本人にとって大切である。
そこに水の神を祀る信仰が芽生え、井戸を神聖なものとして崇める習慣が生まれた。それは仏教が伝来するよりはるか以前のことで、縄文・弥生の遺跡をみても、泉が生活の中心をなしていたことがわかる。(『お水取りの不思議』白洲正子)
神仏習合の面影-かしわ手とホラ貝が響く二月堂
ほかにも興味深い記述がある。
三月一日に修二会がはじまると、下の階廊から登ってくる練行衆は、二月堂へと入る前に、山上の遠敷社に向かってかしわ手を打つ。(『奈良のお水取り』白洲正子)
言うまでもなく、かしわ手を打つのは神社での作法だ。お坊さん達が遠敷社でお祀りされている神さまに挨拶(許可を請うようなものだろう)をしてから二月堂へ向かっていくのは興味深い。
お水取りには、現在は山伏は参加していないが、修験道の匂いが濃いことは、今さら指摘するまでもない。まだ山伏とも修験ともいわなかったであろうが、山岳信仰の聖たちによって、始められたことは確かである。(同)
山伏というとホラ貝が思い浮かぶが、いくつもある行法の中にはホラ貝を吹くものもあるらしい。
また、こんな記述もある。
聞くところによれば、(二月堂の)大観音は、岩上に立っていられるという。もしそれが事実なら、いよいよ東山は、古代信仰の遺跡のように見えて来る。神が降臨する岩座(いわくら)に、観音は垂迹したのである。そして、すぐ傍らには霊泉が湧き出ていた。その山麓に東大寺が造られたのは当然のことといえる」(同)
東大寺を創建したのは聖武天皇である。
私は、聖武天皇の后である光明皇后に興味があり色々と調べたことがあったため、時代背景はそれなりに理解しているつもりだ。
聖武天皇・光明皇后は仏教の興隆を精力的に推し進めたが、だからといって神々と古代信仰を軽んじたわけではない。
この時代、仏教における「仏」やそれを象徴する仏像は、神があるかたちをもって現われたものだとされた。
本来見えない神が、仏(仏像)という「仮の姿」で私たちの前に現われてくれたものだと理解されていたのである。
このような時代背景がわかっていなければ「観音は垂迹したのである」と白洲正子が書いたことを理解するのは難しいだろう。
現代の渇水に想う。2026年、いっそう深まる祈り
こうした人間にとって欠くことのできない生命の源である水を神仏に捧げ奉る儀式では、遡れば古代にまで至る。
日本初の女帝である推古天皇(聖徳太子の叔母にあたる)も水にかかわる神事を行っていたらしいことは、飛鳥や吉野の発掘調査からも推察されることだ。
今、日本は全国的に渇水状態となっている。
私がダムの水が減ってきているのに気づいたのは2023年のことだ。おかしいと思っていた。なぜニュースで採りあげないのだろうかと。
一瞬で床下浸水や床上浸水が起きてしまうほどのゲリラ豪雨がある一方で、年間雨量が極めて少ないまま今年に至り、貯水率もゼロに近くなってから報じられるとはどういうことなのだろう。
このような状況下、修二会の祈りはいっそう深まる。
ちなみに、偶然か必然か、翌日から飛鳥地方を旅した私は、なぜか「水の祭祀」が行われていた遺跡ばかりを訪ね歩いた。
二月堂の淡い夕暮れ。西方の浄土へ向かう魂の記憶
二月堂の前に陣取ったのは夕方5時をまわるころ。
法会が始まるのは午後7時なので、2時間は待たねばならないのだが、良い場所で見たいと思えば仕方ない。
前回、4時過ぎに到着すると、もうすでに人が続々と押し寄せているのを目の当たりにしたため、今回も早めに行って、お松明がいちばんよく見える場所で待つことにした。
振り返ると沈みゆく太陽が早春の空を淡く染め、筆で書いたような雲がいくつも浮かんでいる。
二月堂は、西に向かって建っているのだ。
西には、お浄土があると信じられていたからだ。
今もこの景色を見たら、そう信ぜずにはいられない。それは自分一人の感覚ではなく、代々受け継がれてきた魂の記憶のようなものなのだろう。

闇を切り裂く火花。無病息災を願う「お松明」
とっぷりと日が暮れた。
午後7時、ふいに灯りが消え、梵鐘の音が響いた。
お松明と呼ばれる行法が始まる。
あかあかと燃える松明と、連行衆が駈けていく時の激しい足音。
撮影するために少し離れた場所にいたのだが、パチパチとはぜる火の粉がここまで降ってきそうだった。
けれど、この火の粉を浴びることで無病息災で一年を過ごせると信じられており、むしろ大歓迎なのだ。





幻想的な法会はおよそ20分続く。やがて、もとのように照明が灯され、帰路を案内するアナウンスが始まった。
以前よりもイベントのような雰囲気が濃くなった気がする。修二会という特別な法会の意味や意義、その歴史を知っていれば、とてもではないがイベント見物のような気分になれるはずはないと思うのだが・・・。
いや、何も知らなかったとしても、あのものすごいとしか言いようのない激しい行法を目の前にすれば言葉もなくなるはずだ。感性があればわかるはず、ということになるのだが、昨今はこちらもあてにならなくなってきた。その結果、イベント見物のような意識が広がってしまうのだろう。
宗教行事としての矜持が見える、東大寺からの「お願い」
実は、東大寺の公式サイトには、「旅行会社様へのお願い」というタイトルで、次のような注意書きがある。
修二会行事は、イベントではありません。 松明を見るためだけのツアー企画ではなく、奈良国立博物館で開催される特別陳列「お水取り(毎年2月中旬~3月中旬開催)」などで行事の意義を理解された上で、二月堂へお参りされることをお薦めします。
或いは、添乗員の方が当寺のホームページで行事の内容を把握して、宗教行事であることをお客様の皆様に説明して下さるようお願い致します。(東大寺公式サイトより引用)
椿の造花「糊こぼし」に込められた祈りの心

修二会にちなんだお菓子に「糊こぼし」というものがある。私の好物で、特に萬々堂通則の「糊こぼし」を気に入っている。
「糊こぼし」とは変わった名である。
これもまた白洲正子の随筆の中に書かれていた。
「のりこぼし」は、もともとお供えする椿の造花だったのだ。
椿の造花に使われる紙は丹波の黒谷で特別に漉いたもので、紅花とクチナシで染められているという。
この紙で造花に仕立てていくことを、「花ごしらえ」と称されるそうで、この呼び方がなんともいえず美しい。
「花」を「こしらえる」から来ているのだろう。
「こしらえる」とは古い言葉で「作る」という意味だ。
花を形作る際には、タラの木を芯にして紅白の花弁を添え、中心には黄色のおしべをあしらう。
紅い花びらと、白い花びらが、交互についた椿は実際には見たことがないから、これは現実にあるものではなく、あくまで想像なのだろう。
この椿の造花は、修二会が始まる前に生木の椿の枝につけて供えられる。
しかも時を同じくして、二月堂の前にある椿も咲くという。
どんな椿なのか調べてみたところ、紅白が入り交じった椿で、紅い花弁の中に牡丹雪が降りたような白い模様があった。
この椿の品種が、白洲正子によれば「糊こぼし」なのだという。
水から「ヒ(霊・火)」へ。命が宿り、花開く不思議
一般には「東大寺椿」とか「良弁椿」とか呼ばれているが、品種は「のりこぼし」で、ちょうど糊をおいたように、紅の花弁に真っ白い斑点が現れるのが美しい。天平時代にそんな椿があったかどうか、またいつ頃から造花を飾るようになったか、知るすべもないが、造花ひとつにも多くの人々の手間と、優しい心遣いが行き渡っているのは驚くべきことである。
もっと驚いたのは、椿の形に作ってある造花が、修二会の終わる頃には、全部開くということである。連行衆が皆そういわれるのだから、嘘ではあるまい。その秘密はたぶんタラの木片と、生木の椿にさすところにあるので、水を吸収した紙が自然に開くのであろう。修二会が済んだ後で、土地の人々はこの造花を頂いて、苗代の四隅にさしておくという。むろん豊作のお呪い(おまじない)に用いるので、お水取りは今でも農民の暮らしと密接に結びついている。(『お水取りの不思議』講談社文芸文庫)
本物の椿の花ではなく、造花の椿がもとになったお菓子だったのだ。
それにしても、造花の椿が修二会の終わる頃に全部開くとは、なんということだろう。
椿は春を告げる花だ。
14日間の法会が行われるなかで造花の椿に命が宿り、その花が水を含み、修二会の終わりとともに春の始まりを告げて咲くとは・・・。
12日の「お水取り」で汲み上げられた霊水は、造花であるはずの椿に「霊」を宿し命を与えるのだ。
「霊」は古語では「ヒ」と読んだ。
「ヒ」は、当然、「火」に通じている。
命の源である「水」を捧げる祈りの儀式が、「火(ヒ・霊)」と共にあるのだ。
古代人の感覚といえばいいのだろうか、私の中にある遙かな記憶が、またも垣間見えたような気がする。
入江泰吉旧宅で出逢った「のりこぼし」。煤に刻まれた祈りの跡
造花の「のりこぼし」を、私はどうしても見たいと思った。
二月堂のどこかにあるのか、それとも・・・。
そんなことを心のどこかで思いながら迎えた翌日、入江泰吉の旧居を訪れた。こちらも二度目である。

入江泰吉は明治末期に生まれ、奈良の風景や寺院、仏像などの写真を数多く残した。
入江泰吉の名を知らずとも、その写真を見たことのある人は多いはずだ。
旧宅は水門町といって、もとは東大寺の敷地だった場所にあり、実に静かで風情がある。その建物も、かつてはお坊さんが暮らしていたものだったという。建築という観点からも素晴らしく、建築好きな私にとっては垂涎ものというほかない。
玄関脇の受付で入場料を支払い、ふと振り返った時、あっと驚いた。
これは、もしかしたら・・・という直感は、スタッフさんの言葉によって確かなものとなった。
「のりこぼし、なんですよ。ご存じでしたか?」

私は思わず、「これが、そうなんですね!」と小さく叫んでいた。
「一度、実際に見てみたいと思っていたんです。ちょうど昨日、修二会に参列してきました。のりこぼしは、どこに飾ってあるのだろうかと思いながら、でも、場所を動くこともできなくて」
あまりの喜びようにスタッフさんも誘われるように、あれこれお話ししてくださった。
旧宅に飾られている「のりこぼし」は、ある方が「お下がり」としていただいたのを、お譲りくださった。
この造花は、確か四月堂の中にある庭に飾られているが、一般には公開されていないため見ることはできない。
花弁が少し汚れているように見えるのは、お松明の煙による煤がついたため。
椿の枝に挿しているが、少し葉っぱがくたびれてきてしまっている。もっとピンとした葉っぱだときれいに見える。
「のりこぼし」を造るために必要な和紙も、毎年、信者の方々が納めてくださる。
ご丁寧なお話しに、私はいちいち相づちを打ちながら、紅白の和紙で造られた「のりこぼし」をひたすら眺めた。

祈りは生活の中でこそ息づくもの
なんと愛らしく、可憐なことだろう。
「のりこぼし」に、修二会の壮大な儀式を支える人々のことを思った。そういえば、白洲正子は、次のようなことも書いていた。
観光客には珍しい見ものにすぎないお水取りも、彼らにとっては、まったく別の意味をもっているように思われる。それを信仰と呼べるかどうか一概にはいえないが、一年の生活のけじめとして、欠くことのできぬ規準となっていることは疑えない。(同)
「のりこぼし」だけではない。
松明に使う竹にしても、そうした人々によって奉納される。大和や伊賀の山奥から、大量に届けられるという。
それらの束には、「東大寺 二月堂」と記した札がついており、村から村へリレー式に運ばれて来るという。彼らにしてみれば天平以来の古い付き合いで、表には現れない行為によって、修二会に参加しているという誇りを持っているにちがいない。「お水取りが終わらないと、春が来ない」という言葉も、そこでほんとうに生きてくる。生活を離れたところに、そういう喜びはない。(同)


千年を超える国、日本。千年を超える儀式
何気ないのに、なぜか深く記憶された「お水取りが終われば春が来る」という言葉。無意識のうちに私は、千年を優に超える途方もない深みを感じ取っていたのかも知れない。世界には、現時点で196カ国の国が存在する。
そのうち1000年以上続いている国として、最も歴史が長いのは日本(建国約1800年~2700年説)で、現存する世界最古の国と位置づけられる。
次いで、デンマーク(約1000年)、イギリス(約900年超)が長寿国として挙げられる。
では、千年以上続いている儀式や祭祀は世界にどれくらいあるのか調べてみたところ、なんと、日本ばかりであった。
東大寺の修二会、高野山の生身供(しょうじんく)や結縁灌頂(けちえんかんじょう)、鳥羽の火祭りに、春日大社の春日祭。
このことを知る日本人は、いったいどれくらいいるのだろう。

結び:永久(とこしえ)の祈り——いつの世も変わらぬもの
修二会のことを、あらためて思った。
あの独特の、不思議な時間のことを。
木が燃える匂いが鼻先をかすめ、照明が落とされると、二月堂だけが浮かび上がっているように見えた。
定期的に慣らされる鐘の音。聴くともなく耳を傾けていると、何かが溶けていくような不思議な感覚になった。
溶けていったのは「時間」。いや、「時空」と言った方がいいだろうか。
1275年という遙かな時が深々とした闇のしじまに漂っているのを感じた。

この世は無常だ。移ろわぬものはない。
けれど今目の前に繰り広げられている行法も、この夜空も、100年前、1000年前と、変わらないのではないか。
いや、厳密に言えば、やはり同じではないのだろう。
それでもなお、変わらないものは確かにあるはずだ。
それは何か。
私は、「人の心」だと信じたい。
その心がもたらす祈りだと信じたい。
いつの世も、人がどんな時どんなことに喜びを覚えるのか、あるいは悲しみや怒りを抱くのか、変わらないはずだ。
そうである以上、何を願い、何を祈るのかも、きっと変わらない。
あかあかと闇を照らす松明は、永久の祈りそのものだ。
過去も未来も今ここに集約され、限りない祈願が天地へ広がってゆく。
この世界には、天災や疫病、戦争などがつきものだ。
世界の平和と日本の安泰、五穀豊穣や人々の幸福を願う修二会は、東大寺の大伽藍の大半が失われてしまった時ですら、「不退の行法」として一度も絶えることなく引き継がれてきた。
この地球上では、今なお自然災害や疫病、戦争が絶えない。人間はもとより、地球という美しい星を傷つける戦争が一日も早く終わり、そして永久になくなることを祈るばかりである。
写真撮影:魚住心(leica)
動画:1275年目の祈り——東大寺二月堂「修二会」
本稿で綴った「不退の行法」の情景を、動画にまとめました。
闇を焦がすお松明の炎、そして連綿と受け継がれてきた祈りの響き。
私自身のナレーションと共に、1300年近く絶えることなく捧げられてきた「平和への願い」を感じていただければ幸いです。
この動画をご覧くださった皆様に、静かな安寧が訪れますように。
日本人の精神性と「生きる知恵」を学びたい方へ
情報があふれ、社会の状況も目まぐるしく変わる今の時代。
今、人類はかって経験したことのない時代を生きています。
そんなとき、確かな力となるのは「本質」「本物」「普遍的な真理」です。
「かたよらない、とらわれない、こだわらない」という空(くう)の心や、日本人が古来より大切にしてきた精神性は、私たちが自分を見失わずに生きるための、力強い「軸」となってくれます。
日々の喧騒から少しだけ離れ、こうした先人たちの深い智慧や「日本美」、そして自分自身の心を調える「人間学」を、私と一緒にじっくりと学んでみませんか。
私塾マリアカデミィは、年齢や職業に関わらず、現代を心豊かに生きるための知恵を語り合う「現代の寺子屋」です。
この記事を読んで、あなたの心に何かが響いたなら。 ぜひ、その扉を叩いてみてください。お待ちしております。
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