鎌倉市大船および湘南辻堂を拠点に、空手をベースとした「心の武道」を指導する小野川友隆さん。彼が提唱する「武道の根源には愛と調和がある」という哲学は、「武士道とは愛することと見つけたり」を信条とする私にとって深い共鳴を覚えるものでした。 相手を力で屈服させるのではなく、日常のささやかな所作や深い呼吸を通して体現する「揺るがない強さ」とはどのようなものなのか。勝ち負けを手放した先にある真の武道を体感すべく、武の神様が鎮座する大船道場(鹿島神社)での稽古を取材しました。
 Tomotaka Onogawa teaches a karate-based "Budo of the Heart" at his dojos in Ofuna, Kamakura, and Tsujido, Shonan. His philosophy—that the very foundation of martial arts lies in love and harmony—deeply resonates with my own core belief that "Bushido is found in loving." What is this "unwavering strength" achieved not by overpowering an opponent with force, but through modest daily physical behaviors and deep breathing? To experience firsthand the true essence of martial arts that has let go of the fixation on winning and losing, I visited and reported on a training session at his Ofuna Dojo, situated within the Kashima Shrine dedicated to the deity of martial arts.

鎌倉大船・鹿島神社にて。武の神様に見守られる道場での体験稽古

道場を訪れたのは、まだ暑さも厳しい八月終わり。大船にある鹿島神社が、その場所です。

降るほどのセミの声に包まれながら急な石段を登り、鳥居をくぐると急に空気が変わりました。ひっそりとしたお社。今も昔も地元の人が鎮守の神として大切に崇めているのが伝わってきます。道場は拝殿に向かって左側にありました。

鹿島神社に祭られているのは、武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)。武の神様に見守られながら、小野川さんは稽古をつけているのです。

参拝をしてから道場にあがり、早速体験稽古をつけていただきました。

【リード文の英訳】

 Tomotaka Onogawa teaches a karate-based "Budo of the Heart" at his dojos in Ofuna, Kamakura, and Tsujido, Shonan. His philosophy—that the very foundation of martial arts lies in love and harmony—deeply resonates with my own core belief that "Bushido is found in loving." What is this "unwavering strength" achieved not by overpowering an opponent with force, but through modest daily physical behaviors and deep breathing? To experience firsthand the true essence of martial arts that has let go of the fixation on winning and losing, I visited and reported on a training session at his Ofuna Dojo, situated within the Kashima Shrine dedicated to the deity of martial arts.

豊かな木々に囲まれた鹿島神社の木造の拝殿。しめ縄が飾られ、静謐な空気が漂っている。
大船・鹿島神社の拝殿。武の神様である武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)が祀られています。

鎌倉大船・鹿島神社にて。武の神様に見守られる道場での体験稽古

道場を訪れたのは、まだ暑さも厳しい八月終わり。大船にある鹿島神社が、その場所です。

降るほどのセミの声に包まれながら急な石段を登り、鳥居をくぐると急に空気が変わりました。ひっそりとしたお社。今も昔も地元の人が鎮守の神として大切に崇めているのが伝わってきます。道場は拝殿に向かって左側にありました。

鹿島神社に祭られているのは、武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)。武の神様に見守られながら、小野川さんは稽古をつけているのです。

参拝をしてから道場にあがり、早速体験稽古をつけていただきました。

右側に鹿島神社の拝殿、その左隣に隣接する白い壁の道場建物(社務所)の全景。
拝殿に向かって左側に隣接するのが、小野川さんが指導を行う道場です。

驚きの体験。「お箸と茶碗を持つ所作」が生む揺るがない芯

「まずは簡単なところからやりましょう」と、小野川さん。

その「簡単なところ」というのは、単純に基本の型をやってみましょう、というのではありません。

「日本人がどれほど強さを秘めているか」ということを簡単に体感してみましょう、ということなのです。

小野川さんと指導員の川口さんとが組んで、お手本を見せてくれました。

まずは、川口さんが普通に立っている状態で、小野川さんが後ろから背中を押します。当然、川口さんはバランスを失います。

「じゃあ次に、お茶碗とお箸を持ってください」

川口さんは右手にお箸、左手にお茶碗を持つしぐさをしました。つまり「エアお茶碗とお箸」です。

その状態で小野川さんが背中を押します。

すると、先ほどと違って川口さんは動かないのです。

見ていても明らかに芯がしっかりと通っていて、笑いながらまったく動じません。

合気道の経験がある私はすぐにわかりましたが、他の人はもしかしたら茶番のように感じてしまうかもしれません。

今度は私もやってみました。

何も持っていない状態と、お箸とお茶碗を持ったしぐさをした状態では、身体の感じがまったく違います。明らかに自分の中に芯ができる。けっこう強く押されても「それがどうかしました?」といった感じです。

これには驚きました。

それにしても、なぜ、お箸とお茶碗なのでしょうか?

もちろんこれは一例に過ぎません。

お茶碗とお箸だけでなく、他にもいくつか行わせていただきました。

たとえば心の中で「ありがとう」と思うこと。

正座をして、手をついてきちんとおじぎをする、などなどです。

一口に言えば、どれも「日本的なこと」です。

そしてどれを行っても、行う前よりも何かしっかりとして動じなくなるのでした。

小野川さんがおっしゃるには、古来、日本人が日常的に受け継いできたのは、「調和」そのものではないかというのです。

床に正座をして両手をつき、丁寧にお辞儀をしている女性。その背中を、小野川さんが上から手で押さえている様子。
正座をして手をつき、お辞儀をする所作。相手と争う構えを解き、感謝の心になったときこそ、外からの力に対して人は動じなくなります。

日常の作法に仕込まれた、日本古来の「調和」の身体

考えてみれば、お箸とお茶碗を手にした身体は、誰かを打とうとしている身体ではありません。

そこにあるのは、いただきますの心です。命をいただくことへの感謝、作ってくれた人への感謝、そして目の前のものと争おうとしない姿勢。

「ありがとう」と心のなかで唱えることも、正座をして手をつき、頭を下げることも同じでしょう。どれも、相手を屈服させるための所作ではありません。むしろ、自分をひらく所作です。

ところが、ひらいたはずの身体のほうが、外から加わる力に対して揺るがない。

これは、ずいぶん不思議なことだと思いませんか。

私たちはふつう、強さとは身を固くして守ることだと思っています。歯を食いしばり、身構え、相手より一段高いところに立とうとする。

けれども小野川さんが実演してみせたのは、その正反対でした。

構えを解き、感謝の心になったときにこそ、人は動じなくなる。

日本人は、暮らしのなかに調和を仕込んできたのだ、と小野川さんはおっしゃいます。

食事の所作、挨拶の所作、履物をそろえること、襖の開け閉て。

ひとつひとつは何ということもない、ささやかな動作です。けれども積み重ねれば、身体そのものが調和のかたちを覚えていく。

作法とは、他人に見せるためのものではない。自分の芯を通すためのものだったのです。

「気」の正体とは。呼吸の深さと空間の振動が愛を発揮する

次に教えていただいたのは、呼吸でした。

「気」という言葉は、どうしても神秘的に響きます。けれども小野川さんは、これをきわめて明快に定義されます。

「『気』とは一言で言うと『呼吸の深さ』と『空間の振動』と言えます」

呼吸が深くなれば、振動が速くなる。その振動が、衝突を調和へと転換させる力になるのだ、と。

だから「気」とは特別な人だけが持つ超能力ではなく、日本文化のなかにごく普通に存在してきた力なのだ、というのが小野川さんの考えです。

▷呼吸については、こちらの記事がおすすめです

https://note.com/brainy_owl3520/n/n4b31a19ae00c

小野川さんは言います。

「戦わないからこそ技が強くなるのです」

武士道が究極の平和主義であることは私も理解しています。

「武」の文字を見ても「戈」を「止める」とあります。

刀は安易に抜くものではありませんでした。抜いた以上は、止める(おさめる)ことを覚悟しなければならない。「止める」前には、向かってくる敵意(敵の気)を打つ必要がある。

そこには確かな痛みが生じます。

その痛みは恨み悲しみとなり、負の輪廻となっていく。

因果応報を信じた武士は、だから安易な戦いはしなかった。少なくとも私はそう信じています。

でも、そこで私は、あえてこう質問したのです。

「だけど、ほんとうに戦場に行けば、そんなことでは済まないですよね。本当に戦わなければならない。悲しいけれど、やるか、やられるかの世界です。生きるためには、やらねばならない」

小野川さんは、若い頃から長年「戦いの場」に身を置いてきた人です。当然、そういったことを万も承知です。

小野川さんは私の言ったことについていっさい否定せず、「そのとおりなんです」と仰った上で、教えてくれました。

「ほんとうに相手が一瞬で命を落としてしまうような技をかけることは、できるんです。だけどその時は、最も調和している必要がある。相手をやっつけようという意識ではなく、大きな愛を発揮するのです」

なにかが、ストンと落ちる感じがしました。

少なくとも私にとっては、そうです。腑に落ちるのです。

そして、有る人の言葉を思い出していました。

「この世界で最も強いのは、愛なんだ」

ミカエル・リャブコ氏(故人)。

システマの創始者です。

ロシア陸軍特殊部隊(スペツナズ)の大佐、緊急時対策チームの戦術指導チーフインストラクター、最高判事の顧問などを歴任したツワモノ。

10代の頃から軍務に就き、数々の実戦や人質解放作戦に参加してきた人です。

もっとも、直接、ミカエル氏からこの言葉を聞いたわけではありません。

今年の2月、岸和田大人塾で講演をした際、帰りに空港まで送ってくださった男性が武道家で、システマの稽古もされていた。その彼が私の講演について、「ミカエルと同じことを話したので驚いた」と語ってくれたのです。

彼は過酷な戦場を経験したミカエル氏に、「世界で一番強いのは何か」と質問した。その答えが、先に述べたこと。

この世界で、最も強いのは、愛。

私はミカエル氏のことはよく存じ上げません。けれど、スペチナズの将校であり、人質を救出するような危険な任務を追考した人が、「愛」に辿り着いたということに、深く心を打たれるのです。

同時に今は、真の強さが失われつつある時代ではないかと危惧します。

勝ち負けという「強さの麻薬」を手放した先にあるもの

小野川さんが「心の武道」にたどり着くまでには、長い迷いの道のりがあったといいます。

高校時代、全国組織の道場に身を置き、勝ち負けを中心とした武道のなかで違和感を抱えていた。決定的だったのは、ある試合会場での光景だったそうです。

小学一年生の子どもが勝った瞬間、応援していた親が、獣のように叫んだ。

非常事態になると、人間はこれほどまでに豹変するのか。

その驚きが、武道とは何か、人間とは何かという問い直しにつながっていきました。

小野川さんは、「強さ」への執着を麻薬にたとえます。求めれば求めるほどエゴが肥大し、いつのまにか道を外れていく。それを、はっきりと「外道」と呼んでおられます。

では、道を外さなかった人はどこへたどり着いたのか。

小野川さんが挙げるのが、幕末から明治を生きた剣の達人、山岡鉄舟です。

鉄舟が亡くなったとき、人々はこう言い合ったといいます。あの人の葬儀には、鈴虫やバッタも参列するであろう、と。

天下無双と謳われた剣客が最後にまとっていたのは、虫さえ安心させてしまうほどの慈悲深さでした。

「大切なことは強くなることではなく、戦いを早く終わらせる術を知ることだ」

小野川さんが繰り返し語るこの言葉は、そのまま、刀を抜かずに生きた武士たちの願いでもあります。

愛と厳しさが共存する。武士道が持つ「女性的」な本質

もうひとつ、小野川さんの言葉で膝を打ったことがあります。

武士道の思想は、本来きわめて女性的なものである、と言い切っておられることです。

刀を抜かず、人を斬らず。世のため、人のため。

たしかに、武士道が最後に守ろうとしたのは、勝利ではなく、共存と循環でした。

小野川さんは、新渡戸稲造のこんな一節を引いておられます。

「女性の情緒は男性の心的能力を超絶している。したがって女性が武士道に関心を示すならば、殆ど不可思議な点なく理解できるであろう」

かつての日本の母たちは、愛と厳しさが別々のものではないことを、肌感覚で知っていました。愛・平和・共存・思いやり・優しさ・慈悲――これらを守るためにこそ、厳しさが要る。だから子どもをいたずらに甘やかさなかったのです。

これはまさに、私が「武士道とは愛することと見つけたり」と申し上げてきたことと、そっくり重なります。

愛が先にあり、その愛を守り抜くために厳しさがある。順番が逆になったとき、厳しさはただの暴力に変わってしまう。

小野川さんはこれからの構想として、武道を中心に、哲学や歴史を学ぶ場、農、動物の保護までを含んだ人のつながりをつくっていきたいとも話してくださいました。

AIがどれほど賢くなっても、機械にはできないことがある。それは、心を通わせること、温かみを手渡すことだと。

人が最も力を発揮するのは、戦うときではなく愛するとき

稽古を終えて石段を下りるころには、セミの声はいくぶん静かになっていました。

汗をかいたはずなのに、身体は妙に軽い。

誰とも戦っていないからだ、と気づきました。

私たちは、力を出そうとするとき、つい身を固くします。誰かに勝とうとし、認められようとし、負けまいと歯を食いしばる。

けれども、この日の道場で確かめたのは、それとはまったく逆のことでした。

お箸とお茶碗を持つとき。

ありがとうと思うとき。

手をついて頭を下げるとき。

呼吸を深く沈めるとき。

つまり、誰かを、あるいは何かを大切に思っているとき、人はいちばん揺るがない。

人が最も力を発揮するのは、戦おうとするときではなく、愛しているときなのです。

その根底には、必ず調和がある。

武甕槌大神は、武の神様であると同時に、国譲りの談判において、剣を逆さに突き立て、その切先に坐して臨んだ神です。

刃をこちらに向けたまま、ついに誰ひとり斬ることなく事を収めました。

抜き身を見せながら、斬らない。

その神に見守られた小さな道場で、いまも静かに稽古が続けられていることを、私はとても好もしく思うのでした。

「心の武道」小野川友隆さんの詳細

▷小野川友隆さんの記事(note)

小野川友隆|空手道 辻堂・大船道場|note

「武道は平和を促す道」空手道 辻堂大船道場 代表・小野川友隆のnoteです。競争を目的とせず、日本人の「道(心)」を取り戻す生き方を実践。武道哲学や心の在り方を綴り…

https://note.com/brainy_owl3520

▷公式サイト

大船道場

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辻堂道場

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