情報社会における見えない階級

誰もがスマートフォンを持ち、手軽に文字を消費できる現代。しかしその裏で、行間や深い文脈を読み解く力は失われつつあります。
現代社会に静かに進行している「意識による見えない階級化」を鋭く紐解いてみました。
庶民が出版文化を謳歌した江戸時代から一転し、一部の層だけが高度な精神世界を共有する「新・平安時代」へ。表面的なノウハウ本ではなく、国内外の優れた文学や哲学に向き合うことの真価と、流されない自己の在り方を問う、成熟した大人のためのオピニオンをお届けします。

The New Heian Period: How Consciousness is Dividing Modern Society

In an age overflowing with easily digestible information, a profound division is silently taking place. While modern society boasts high literacy, the ability to deeply comprehend literature, philosophy, and their underlying contexts is becoming increasingly rare. In this article, Mariko Ishikawa—author, essayist, and Bushido researcher—explores this phenomenon, likening it to a "New Heian Period" where an invisible class system is formed not by wealth, but by consciousness. Challenging the superficial consumption of "how-to" books, she advocates for the true value of engaging with profound literature and philosophy. This is a thought-provoking guide for those who seek to elevate their spiritual depth and intellectual independence in a shallow world.

夏目漱石の『虞美人草』の復刻版。朱色とモスグリーンのレトロな表紙が目を引く。魚住心がライカで撮影。

活字離れならぬ「非読」の時代――100冊読んでも変わらない理由

「本を100冊読んでも、知識も得られず語彙も増えなかった」
今朝(3月2日)たまたま目にして、ふと視聴してみたYouTubeの動画で語られていた言葉です。
本を読まなくなっている若者が増えている(若者だけでしょうか?)。
「読書離れ」という言葉が使われるようになって久しくなります。長年、出版業界に携わっている私としては、もちろん歓迎すべきことではありません。
幼い頃から本を片手に生きてきた私としては、本がない人生など、人生の喜びの半分・・・どころではない、8割以上を失うに等しいとさえ思っています。
いや、それどころではありません。
人生の指針を失うに等しいのです。

昨今の現象は「読書離れ」でも「活字離れ」でもなく、もはや「非読」と呼ばれる現象だと述べる人もいます。
その理由が先ほどの「100冊読んでも・・・」です。
もう少し詳しく述べると、「ライトノベルを100冊読んでも、たいした知識も得られず語彙も増えなかった。だから読書は無駄だ」ということらしいのです。
いや、そうでしょう、としか言いようがありません。
「ライトノベル」では実際そうなるでしょう。
つまり、そもそも「選書」と「読み方」がずれてしまっているのです。
今は即効性のあるノウハウ本や、わかりやすく要約されたビジネス書を読む人が圧倒的に多いようです。
しかしそうした本をたくさん読んだからといって、必ずしも人間の器が広がるわけではありません。
国内外の優れた文学作品や哲学書、あるいは暦書などにじっくりと向き合わなければ、読書の意味は半減します。
その行間から人間の業や人生の機微を読み取ること。
それこそが、自らの精神を深みへと導いてくれるのです。
真のトップリーダーと呼ばれる方々が、ビジネス書よりも歴史や哲学、文学を好んで読まれるのは、「人間とは何か」「いかに生きるべきか」という本質的な問いに触れたいと願うからにほかなりません。
つまり教養と人間力、胆力を持つことが必須の人は、単なる知識ではなく本質的なことを学ぼうとしているのです。
もっといえば、読書から「答えを得よう」などとは思ってもいないのでしょう。
むしろ「問い」を求めているに違いないのです。

意識が階級をつくる――ある女性の言葉が示す真実

今から20年ほど前、ある女性が私にこんなお話をしてくださいました。
私よりも20歳年上だったその方は、代々毛利家の家老を務めていた武家のご出身。
日本を代表する商社社長の奥さまで、ベルギーやフランスで暮らした経験をお持ちでした。ヨーロッパにはまだまだ階級意識というものがあったようです。
そして・・・

「日本は階級社会ではないけれど、結局、人間は意識で階級を作っているのよね」

そう仰ったのです。
このお言葉は極めて強い印象を私の中に残しました。そういう視点で人や社会を見たことがなかったからです。
けれど、考えれば考えるほど、「なるほど」と思えるのでした。
以来私は人々の「意識の在り方」が、いかに現実の現象をかたちづくっていくのかを注意深く見つめてきたのです。
そして今、彼女の言葉がかつてないほどのリアリティを持って迫ってきているのを感じています。
講座の受講生さん達にも、この話をしたことがあります。
その場合は「パラレル」という言葉を使いました。
今、この稿を読んでくださっているあなたも、一気に理解しやすくなるのではないでしょうか。
あるいは「量子力学」として、「同じ波動の人が引き合う」という説明でもわかることでしょう。
要は類は友を呼ぶということですね。

階級という言葉には無意識に抵抗を感じる人もいるかも知れませんが、このように説明するとスッと入ってくるはずです。

出版文化を謳歌した江戸時代から「新・平安時代」への逆行

ともあれ、この「非読」ともいわれる現象を、私はまるで「平安時代」のようだと感じました。
この10年ほどでしょうか、世の中の流れが、まるで歴史を遡っているように感じることがあるのです。
たとえば「育メン」という言葉がありますね。江戸時代は男性の育児は当たり前でした。
離婚が増えていると言っても、江戸時代ほどではありません。江戸時代の日本では離婚はタブーではなかったので、結婚と離婚を繰り返すことなど珍しくなかったのです。
そんあ江戸時代は、日本の識字率は世界的に見ても高く出版文化が花開きました。庶民が本を読めるというのは、「文明国」とされたイギリスやロシア、フランスでもありません。
都市部に関して言えば日本の識字率は80%を超えていたかも知れないとさえ言われ、庶民の中から識者が登場したほどでした。
浮世絵に歌舞伎を代表する町人文化、豊かな大衆文化の時代だったのです。
現代はどうでしょうか。
誰もがスマートフォンを持ち、手軽に文字を読むことはできます。
けれど、その背景にある文脈(コンテクスト)を深く読み解き、自らの哲学として昇華できる方は少なくなっているといえます。
しかも、非読の原因は、集中力が続かないためだと言われています。
この春からは、AIがエージェントとして何でも回答してくれる時代がついに始まります。
スマホを持っていても、もはや「検索窓」に文字を入力することもなくなり、知りたいことは人に話しかけるようにスマホに話しかけて答えを得る。
このままでは、すぐに答えが得られないとイライラするような人が激増してしまいかねません(すでにもうそうなりつつありますが)。

動画では、「読書できる人は貴族なんだ」と語っていました。
なるほど、貴族とはよく言ったものです。
もはや江戸時代を通り越して、限られた人たちだけが書物を読み、高度な精神世界を共有していた平安時代へ逆行しているかのよう。
「新・平安時代」と位置づけたゆえんです。

情報の波に流されない「意識の貴族」としての生き方

現在は「格差社会」と言われ、問題視されています。その際、「格差」として語られるのは、経済においてです。
しかし今の格差とは、単なる経済の格差だけではないのです。
教養の格差、自身の文化に対する意識の格差、歴史認識に関する格差。
経済を「ハード面」とするなら、これらは「ソフト面」であり、私はこのソフト面の格差のほうが深刻だと思っています。
良書を読み、歴史文化に対する認識や理解を深め、「人生とは何か」という哲学的な問いに対して真っ向から挑んでいった経験がないと、物質的な側面にしか頼るものが無くなり、結果的に不幸になりやすくなるからです。
翻って、書物と真摯に向き合い、自らの内面を研ぎ澄ますことのできるような人は、壁にぶち当たっても押し返し、むしろそれを力に飛躍することもできるでしょう。
それが「お金」にも繋がり、物質的にも精神的にも豊かになっていく可能性は十分すぎるほどあります。

「意識の貴族」などと表現したら反感を買うかも知れませんが、いずれにせよ、教養を求める層と、手軽な情報を消費して生きる層に、これからはますます分離していくことが予想されます。
もっとも私は六年前から「これからは二極化・多層構造の時代になる」と述べてきましたが。

今の状況を「新・平安時代」と呼ぶのは、少し皮肉に聞こえるかもしれません。
けれど、手軽な共感や人気取りに翻弄されるのではなく、これからは個人の「意識の在り方」が、その人の生きる世界を決めていくのは火を見るよりも明らかです。
情報の波に流されず、自らの精神性を高く保ち、深い教養と共に生きる。
そんな凛とした覚悟を持つことこそが、この「新・平安時代」を美しく生き抜く鍵になるのだと、私は信じています。

感性を磨く文学講座

亡き父が文学者だったこともあり、私は本に囲まれて育ちました。
信じられないほどの幸運だったと今でも思います。
幼い頃から世界の名作に触れることができた環境は、何にも代えがたいもので私の人生を決定づけました。それは、祖母の教えと相まって、私の基盤となっています。

文学の素晴らしさを語ることが出来るのは、もしかしたら、私の役割なのかも知れません。
(これを書きながら、今、思いました)

実は、マリコアカデミィには、【感性を磨く文学講座】という講座があります。ほぼクローズドの講座で、広く告知することはありませんでした。
でも、今年、2026年からは、文学講座や読書会を充実させていこうと思っています。

その際は、またご案内させていただきます。

また、身近な伝統文化を学び、教養を深める講座として、【和敬美学の会6期】を行っています。
これまでになく入りやすい内容となっていますので、よろしければカリキュラムだけでも読んでみてください。
途中からでもご受講いただけます。

和敬美学の会6期 日々の暮らしを慈しむ、日本文化の教養

2026年は、自分自身の「足元」を深く愛する一年へ。 情報が溢れ、価値観が目まぐるしく変わる時代だからこそ、 私たちはもう一度、自分たちの足元にある「日本の暮らし」…