昭和の戦争は、日本が歴史上初めて「戦争に負けた」歴史でもあります。なぜ、日本は戦争に踏み切ったのか。
なぜ、負けたのか。
今なお、問い続けられていますが、その核心を明治の近代化に繋げて考えている人は多くはありません。
「敗戦の原因は、明治につくられた」
これは、私が確信していることです。
もちろんそれがすべてではないにせよ。本稿では、明治時代に陸軍が編纂した『日本戦史』についてお伝えいたします。

原爆投下は東京裁判において国際法違反とされた
8月になると、今も重苦しいエネルギーを感じるのは私だけではないでしょう。6日は広島に、そして9日は長崎に、アメリカ軍により原子爆弾が投下された日です。
言うまでもなく15日は終戦の日。多くの人が犠牲になったのは言うまでもありません。死亡した人は15万 ~24万6千人にも及ぶびます(厚労省発表・現時点)。
しかしそれだけではありません。その後もずっと、後遺症や遺伝的問題が続いたのです。
ご存じでしょうか。この原爆投下は東京裁判において、国際法違反だという判決を下されたことが。戦争には、ハーグ条約に代表される、いわば「戦争のルール」があるのです。それに違反したということです。
もっといえば、原爆投下に限られたことではなく東京大空襲をはじめとする武器を持たない非戦闘員である庶民を対象とした大々的な攻撃はすべて国際法違反である可能性は否めません。
ただし・・・今なお、米国では9割の人が、
「原爆投下は戦争を終わらせるためにやむなく行われた、正義の決断だった」
と信じているようです。
GHQの公文書などが公開され、そうではない事実が明らかになっても戦後ずっと受け継がれてきた教育を離れることはできないのでしょう。
ただし、幸いなことに若い世代から公平な見方をする人たちも出てきています。今はアメリカ国内でも原爆に対して、いえ、太平洋戦争に対しての見方は二極化しはじめています。
また、原爆ドームを訪れた方は、その凄惨な事実を目の当たりにして、「これが正義だったのか」と、衝撃と共に疑問を抱くようです。当然でしょう・・・。そうでなければ、無辜の市民が犠牲になった意味がありません。被爆し一瞬にして命を奪われた人たちは、今なお、無言の訴えを続けているのです。
帝国軍の体制・体質そのものにも責任がある。その要因となったのが『日本戦史』
しかし、日本もただ被害国として甘んじているわけにはいきません。厳しい言い方にはなりますが、大東亜戦争であそこまでの被害を出したのは
日本国にも責任があるからです。
そこを見極めて初めて、先の大戦がいったい何だったのかがわかりはじめます。少なくとも私はそうでした。
毎年8月には、戦争にまつわるセミナーや講座を行ってきました。
今回は、和敬美学の会第一期の第11回のテーマを再度お届けすることにいたしました。
約2時間半にわたる講座のはじめに、私は高橋昌明氏の著作『武士の日本史』をご紹介いたしました。
そこには、第二次世界大戦について、考え直さざるを得ないことが書かれていたからです。
高橋昌明氏が『武士の日本史』で語ったこと
講座資料にも、抜粋する形で概要を掲げました。
以下が、その内容です。
*好むと好まざるにかかわらず、歴史小説家はもちろん歴史研究者も、これ(注:『日本戦史』のこと)に頼るのが常であった。
*(戦国時代の合戦を)明治陸軍の戦術眼と軍隊知識で観ており、明治と戦国時代では戦争についてすべてが異なるにもかかわらず、その点において注意が払われた形跡がない。よって、筆者は『日本戦史』を近代軍人の眼による擬古物語と考える。
*正確で具体性のある戦闘関係の史料がえられなかったため、『日本戦史』が、江戸時代の娯楽本位に書かれた軍記物・軍談に頼りながら、強引に架空戦史を書いた点は、国民の歴史意識をゆがめる結果になっており、おおいに問題である。
*さらに深刻な問題は、(中略)近代の指導的軍人の思考と志向を縛り、史実とかけはなれた「戦訓」をもとに、現実の戦争を高僧させ実際に実行する、という愚を犯させたかも知れないことである。
*批判的な見地を放棄したり、国家の威信や指導的軍人の名誉を優先したりする戦史は、いよいよ架空の戦史に堕さざるをえないし、現実の戦争指導者にとっても有害無益である。
(以上、『武士の日本史』高橋昌明著 岩波新書より引用)
「あの戦争」についての反省とは、何なのか。
8月、さまざまな形で「あの戦争」について取り上げられます。
そのいずれにも、私は違和感を抱かざるを得ません。
まだ、根本的な課題にたどり着けていないと感じているからです。
本講座では、問題の核心に、私なりに迫りました。
あの戦争をどう見るのか。
すべての日本人がきちんと向き合うべき課題であり、それが未来を創造する際の糧にもなります。
この講座が、一役を担えるなら幸甚です。

