みなさん、ごきげんよう。いかがお過ごしですか?
今日は、懐かしい人に手紙を書くような気持ちで書いています。

あちこちでイベントやセミナーなどが中止になる中、お茶のお稽古も三月はお休みとなりました。
2月29日(土)、二月最後のお稽古に伺った折に、先生がそう仰ったのです。お弟子さんは、私を含め、三人だけの極めて小さなお教室ですが、やはり異例の状況ということで、決断されたとのことでした。

自分は何とかなる。案じられるのは、ひとえに師匠の身ばかり


もともとこの日は、お稽古日ではありませんでした。
今年は閏年で、2月は土曜日が五回もあるため、3月のお稽古日まで、だいぶ二週間も空いてしまうから・・・ということで、特別にお稽古日を設けてくださったのです。
「2月は4回もお稽古をつけていただける」と、うきうきしていたのは、ほんの二週間前。まさか三月がお休みになってしまうなんて、思いも寄りませんでした。

ただ、一月からこのかた、私が最も恐れていたのは、「万が一、先生に病気をうつしてしまったら」ということだったのです。
「なんとかは風邪を引かない」といいますが、この冬私は元気いっぱいで、インフルだろうがノロだろうが、単なる風邪だろうが、まったくかかっていません。
こんなことは生まれて初めてで、2年ほど前から始めた健康法が功を奏しているのかもしれないし、暖冬のせいかもしれません。
いずれにしても、何かのウィルスに感染したとしても、「ちょっとだるいな、疲れてるのかな」程度で気づかないかもしれない、と思っていたのです。

そして、まったく知らないうちに、ご高齢(93歳です)の先生に移してしまう・・・。

先生に、もしものことがあったら、私は自責の念と悲しみのあまり、地の底まで落ち込んでしまうにちがいありません。
だから、極めて神経質に過ごしていたのです。どれだけ徹底したかは長くなるので割愛しますが、それでもなお、防ぎきることはできないかもしれないという不安が常にありました。

ですから、お稽古がお休みになるのは、心配が和らぐことにはなるのです。

でも、実に寂しいです。
月に3回、半日あまりのお茶のお稽古は、もはや私の生活・・・ということは人生の、かけがえのない要素となっているのです。

でも、事ここに至れり。
何ごとも受け容れていくほかありません。受け容れてこそ、何が出来るか考えて、次の一手に出られるのです。

一期一会。明日をも知れぬ武士は言葉に尽くせぬ想いを抱く。ゆえに祈りを込めて茶を点てる

弟子三人といえども、仕事の都合などで全員揃うということがなかなか難しかったのに、奇しくもこの日は三人とも揃いました。
一ヶ月のお休みに入る前に、全員が顔をそろえることが出来たのは、幸せなことです。
この日、先生がご用意くださったお軸は
「春水満回沢」
水ぬるむ春。雪解けの水も手伝って、あちこちに水があますことなく満ちていく・・・
そんな光景が浮かびます。お筆は前大徳寺少林明堂さま。
お花は、椿三種と、白のアセビ。花入れは信楽焼です。
うちのお教室は、本当はお稽古の最中に写真を撮ったりしたらいけないのです。でも、先生にお願いして、この日は撮らせていただきました。
大急ぎで撮ったから、こんなに斜めになってしまった。

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そしてお菓子。
「一ヶ月お休みになるから、こんなにお菓子をお出ししちゃったのよ。悪くなってもいけませんからね。今日は銘々に盛りました」
先生はそのように仰りながら、お盆の上の菓子皿を指し示しました。
春色があふれています。

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お稽古は、向切(むこうぎり)の逆勝手。私は薄茶のお点前で、二番目にお稽古をつけていただきました。

あまりにも変化が激しい今。
わずか一週間でも、いえ、ここ最近は数日で状況が変わってしまいます。
一ヶ月。何が起きるか・・・
それを思うと、一ヶ月が、とてつもなく長く感じられます。

いま、ここで何が出来るか。

私にできることは、先生、そして生徒さんたちが、どうか無事で居てくれますようにと祈りを込めてお茶を点てることくらいです。
でも、そこに込めていく願いと祈りは、無量にできるはず・・・。

頭のてっぺんから指先まで、全身全霊に祈りを満たしていく心持ちで、一盌、また一盌と、お茶を点てていきました。

そして、ある瞬間「一期一会」という言葉が降りてきたのです。
もとより軽い意味ではないと思ってはいましたが、初めて「肌で知り、体で理解した」ような気がしました。

武士は明日の命をも知れぬ存在。相手も自分も、いえ、この世のすべて命あるものの儚さを否応なしに悟ることになります。命に対しての慈しみ、憐れみ、憧れ、悲しみ、ありとあらゆる感情がないまぜになって、とても言葉には言い表すことなどできない。
言葉に出来ないから、何か「かたち」にして表す。
お茶というのは、その「かたち」の、最たるものの一つなのでしょう。
今日、この日は、二度と来ない。この場も、この時も、ただ一度きり。・・・そして、もしかしたら、最後になるかも知れない。
「一期一会」の重さを全身に感じました。

最後に、大先輩がお濃茶を点ててくださいました。
黒楽の茶碗の御名は、「無事」。

このとき私は、皆が同じ思いでいたことを痛感したのです。
みなが、互いの無事を心から祈って、ひとつになっていた。
言葉はまったく交わさなかったけれど、お茶室の中は、まさに「和」で満ちていたのです。

お稽古が終わり、揃って一礼をしたあとで、お片付けに入りました。

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お水屋です。(ここも写真が斜めになってしまった)
ひとつひとつのお道具とも、しばしのお別れです。
「いつもありがとう」
心の中で、お道具にもお礼を言いました。

「これは持ち帰ってね。お菓子があんまりたくさんだから、お土産」
先生から「ひなあられ」をいただきました。

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甘いあられかと思いきや、薄塩のと、ほの甘いのとが混ざった、まんまるのあられでした。
さすが先生。
いつも、「甘いのばかりだと飽きるでしょう?」といって、時々、塩豆などをお出しくださるのです。

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次のお稽古は四月。世の中はどうなっていることでしょう。
多くの人が、心安らかに日々を過ごすことが出来るよう、心から祈ります。

三月、私は自宅で一人稽古に励むことといたしましょう。
独服(自分で点てたお茶を自分でいただくこと)となりますが、その一盌に、祈りを込めて点てることといたします。

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