どんな状況でも、自分から幸せに生きることを選び取ることが出来る。
それが本当の「美しいひと」ではないだろうか。
美しい人がつくる「世の中」は、おのずから美しくなる。
だから、そういう人が一人でも多くなるように、歴史文化を通じて日本の心を学び、学んだことを日常生活の中で実践していこう。
そんな想いで毎月開催しているのが女性限定の少人数制講座【この花咲くや会】です。
2月は戦国時代の女性について学びました。
130年あまりも続いた戦国の世。女性や子ども、老人など、弱者は極めて生きづらい時代です。
しかし、そんな中でも、すべてを受け容れながら、みずからの意志で人生を切り抜けていった女性たちがたくさんいます。
文献から見えてきたのは、時代劇や大河ドラマなどで画一的に描かれてきたものとは異なる強くしなやかに生きる女性たちの姿でした。
一方で、村など当時のコミュニティーの中に、女性を補助する制度もあったのです。これには実に驚きます。
中世(平安~鎌倉時代まで)の女性は土地財産の所有権があり、武家の女性になると主人とは別に自分自身の下男(家来)を持っており、自由に使うことが出来たのですが、それは戦国時代にもどうやら引き継がれていたようです。
それを証明するのが、当時の土地売買の契約書です。
契約書にある著名が、全体の3割は女性でした。このことは、女性が土地を所有していたことを意味します。
その当時、土地を持っていたということは、農産物をつくったり、あるいは茶店などを行っていたかもしれません。要するに、土地を持っていたということはなんらかの経営を行っていたことになり、経済力があっただろうことが予測できるのです。
なお、離婚についても女性の方が保護されていたようです。
離婚した場合、夫が村外に追放されることがあっても、妻は村での居住を許されていました。離婚原因が妻の落ち度によるものであったとしても、です(このあたりの事は『家族と女性』(吉川弘文館)で知ることが出来ます)。
今でいうDVが原因の離婚となると、夫は二度とその村で暮らすことを許されなかったようで、要するにこれは離婚後、女性に被害が及ばないように配慮された処置というほかないでしょう。
応仁の乱(1467年)のころから、徳川家康が江戸幕府を開くまで(1603年)の130年ほどを戦国時代とされています。
15世紀の後半から17世紀に入ったころということになりますが、そんな時代に、女性への救済処置や助成制度があったことに驚かされます。しかもこれは上流階級の女性に対するものではなく、一般女性に対するものなのです。
本当に日本は男尊女卑なのでしょうか?
資料を読み説けば読み説くほど、疑問が湧いてきます。
【この花咲くや会】の講座は、今のところ休日クラスと平日クラスがあります。平日クラスは午前中からスタートなので、簡単なランチをご用意しています。
お昼ご飯をいただきながら、いろいろと意見交換をするのが、また楽しいひとときです。
この日は、
*全粒粉のオーガニックパスタを自家製トマトソースで
*紫キャベツのラペ
*自家製鶏ハムのオーガニックハーブオイルがけ
*春かぶの酢漬け
*菜の花のガーリック風味
どれも少しずつ盛りつけてワンプレートにしました。
とても熱心に学んでくださる生徒さんに恵まれて、本当に嬉しいです。
この日はお一人ご欠席で、お二人でのご受講でした。
【咲くやこの花会】の会員特典として、書籍や文献の貸し出しも行っています。
こんな本の貸し出しも・・・
お返しくださる際に、「長いことお借りしてしまって」と、ちょっとしたプレゼントを添えてくださいました。
中原淳一の一筆便とアフタヌーンティーのクロス。さりげないお気遣いができるひとって、素敵ですね。センスも抜群です。
【この花咲くや会】については、以下をご参照ください。
ご参加、ご入会、大歓迎です。公式サイトからお問い合わせいただけます。
◆この花咲くや会(石川真理子 公式サイトより)
https://mariko-bushido.jp/hinomotojuku/konohana