去年10月の台風は、木造古民家の拙宅にとってかなり厳しいものでした。
といっても、他のお宅に比べると、相当ましな方です。
そうなると修理も後回しになってしまうようで、ようやく今日から大工さんが来てくれました。
朝から、どすんバタン、どかん、どおーん、と、賑やかこの上ありません。時々、書斎の窓から黙々と作業をする大工さんの姿が、ちらっと見えます。
なんとなく気になりますが、とにかく仕事をしていました。
お昼が近づいてきて、だんだんおなかが空いてきたので、仕事の手を休めて台所に立ちました。
おみおつけをつくり、ほうれん草とベーコンのココットを作って・・・と台所しごとをしているうちに、ふと、大工さんの音がやんでいることに気づきました。
自分の食事をテーブルに運ぶついでに、なんとなく外を見てみると、大工さんは縁側に座ってお弁当を食べているのです。
あ、そうか、お昼のお休憩なのね。
それで慌てて窓を少し開け、「お茶をお煎れいたしましょうか」と声をかけました。
すると大工さんは水筒を掲げ、「あるから大丈夫です」。
「そうですか」と素直に引き下がりましたが、それではなんだか申し訳ない気がして、今度はお菓子をお持ちしました。
先日の講演先、岡山でいただいた銘菓です。
「少しですけど、お食後にどうぞ」
今度は「ああ、これはすみません」と、すっと受け取ってくださいました。
お庭はまるで春のような光がさんさんと降り注ぎ、縁側はぽかぽかと信じられないあたたかさ。
少しして、お菓子のゴミをいただこうと再び行ってみると、なんと、大工さんは縁側に寝そべってお昼寝をしているのです。
せっかくお昼寝しているのに、起こしてしまうのも忍びなく、私はそっと退散しました。
幼いころに暮らしていた家は、東京の都心近くとは思えない静かな住宅地にある、大正末期に建てられた一軒家でした。
家のぐるりは庭になっていて、月に一度は庭師のおじさんが手入れをしてくれていたものです。
庭師のおじさんは、お十時とお三時には、濡れ縁で休憩します。
母がお茶とお菓子を持っていく時には、必ずあとからついていきました。
お菓子は、おまんじゅうや大福などの和菓子で、時々、おみかんなど果物をつけることもあります。
私は、庭師のおじさんから、少し離れたところに座ってお相伴しました。
お相伴といっても、私は甘い物が苦手という変な子どもでしたから、一緒にお菓子をいただくわけでもないのです。
ただ、庭師のおじさんの、素朴でやさしそうな様子が好もしく思え、また、珍しい感じもあって、何を喋るというわけでもなく、くっついていたというわけです。
大工さんがやってきて、幼い頃の、そんな日々を想い出しました。
ただこれだけのことなのですが、やさしい気持ちが不意に沸き起こるのは、案外、こうした何でもない出来事の中ということが多いのです。
お昼寝をしていた大工さんが、おもむろに起き出して、再び作業を始めました。
ここ数日は、ドシンバタンと大きな音を聴きながらの執筆になりそうです。