情報があふれ、正解が目まぐるしく変わる現代。予期せぬ出来事に直面し、不安や悲しみ、怒りといった感情に心が振り回されてしまうことはないでしょうか。
本記事では、禅の言葉である「いま泣いたカラスがもう笑った」や、般若心経が説く「空(くう)」の教えを通じて、感情にとらわれない健やかな心のあり方について綴っています。
予測不能な日々の中でも、自分を見失わずに自由自在に生き抜く。そんな日本人が古来より大切にしてきた精神性と「人間学」のヒントとしてお読みいただければ幸いです。
※この記事は、もとは世界が未知の不安に包まれ始めた2020年3月に執筆したエッセイでした。しかし、この2026年は、当時を上回るほどの激動の一年となりそうです。そこで新たに加筆・修正を行い再公開いたしました。
In today's rapidly changing world overflowing with information, it is easy to find our hearts swayed by anxiety, sorrow, or anger when faced with the unexpected. This article explores the path to a healthy, resilient mind through the Zen saying "The crow that was just crying is now laughing," and the teachings of Ku (Emptiness) from the Heart Sutra. We hope this offers you a hint of traditional Japanese spirit and humanistic wisdom—a guide to living freely and staying true to yourself, even in unpredictable times.
私は、あっかるいなぁ。
私は、明るいなぁ。
今朝、お掃除をしながら、不意に、そしてつくづくそう思った。
けっこう厳しい状況でも、なぜだかすぐに楽しいことを思いついて、一人でワクワクしたりする。
こんな状態なのに、ワクワクしている自分に気がついて、なかばあきれながら、「キミは明るいねえ」と、他人事みたいに言うのです。少し離れた所から私を見ている、もう一人の私が。
どうしてなのか、ちょっと考えてみた。
意外かも知れないけれど、私はすぐに落ち込む。
少しショックなことがあると、いとも簡単に、子どものように悲しんだり残念がったりする。
落ち込んでいる私を、もう一人の私が見ている。
見守っている、といったほうが、いいかもしれない。
要は、自分の心の動きを見つめているわけなのです。
自分の心の動きを「もう一人の私」が見つめる
これはまさに坐禅の際に指導されること。
「呼吸を数えながら、あれこれ雑念が浮かんでは消える、その心の様子を見つめなさい」
そんなふうに老師は仰る。
いつの間にか、それが癖になったのだと思う。
心を見つめているということは、自分の状態を把握しているので、暴走することがない。
大河が決壊するがごとく、感情が大暴れすることがないのです。
そのうち、空に垂れ込めていた暗雲が流れていくように、心が安心を取り戻していく。
暗雲が流れるのを見つめながら思うことは
「まあ、こんなこともある。しょうがない。でも、なるようになる。今までだって、なるようになってきた。結局、それに尽きる」
溜息もたくさんつく。
その溜息が、もしかしたら、暗雲を流す風になっているのかも知れない。
だから、我慢しないで、出るがままに溜息をつく。
「いま泣いたカラスがもう笑った」――とらわれない禅の心
我慢しない、といえば、私はすぐに弱音を吐く。
昨日も、姉と兄、それぞれに電話をした。私はかなり年の離れた末の妹で、どんなに年を取っても「小さい妹」という意識が消えないのか、姉も兄も、とても私に優しい。というより、甘いといっていい。
お姉ちゃん(お兄ちゃん)、こんなことになっちゃってるのよぅ。
私の泣き言に、兄も姉もすぐに同情して心配して、あれやこれやとアドバイスしてくれたり、具体的に助けてくれたりする。
お互いにソウルメイトだと思っている男友達とも喋った。
「でも、負けるもんかって思ってるのよ」
ソウルメイトでも、友達の場合は、ちょっと強がる。でも、それがまた効果的なようで、私はどんどん「整って、成って」いく。
ここでまた禅の話。
これは禅僧ではなく、禅僧並みのハンパじゃない修行をした、行徳先生がよくおっしゃること。
「いま泣いたカラスがもう笑った。これが禅ですよ」
カラスというのは、実際には赤ちゃんのことをいう。
赤ちゃんは、ぐずぐずと鳴き出しても、だっこしてあやしたら、すぐに笑い出す。
これこそが禅だ、というわけです。つまり、悲しみだとか怒りだとか、その時々の感情にまったくとらわれていない。
空(くう)そのもので、ゆえに、どこまでも自由自在でいられる。
般若心経が教える「かたよらない、こだわらない」生き方
禅僧ではないけれど、薬師寺の高田好胤(たかだこういん)管主は、
般若心経をこんなふうに説いた。
かたよらない こころ こだわらない こころ
とらわれない こころ ひろく ひろく
もっと ひろく
これが般若心経 空のこころなり
いやあ、いいなぁ。毎朝、お香を焚いて般若心経をお唱えしているけれど、
本当に心が落ち着く。背筋が伸びる。
これも功を奏しているのかも知れない。
悲しみも怒りも「水に流す」。日本人の自由自在な精神
毎日、憂鬱なニュースが怒濤のように流れているけれど、
こういう時は、スマホを見るより空を見上げたり、あたりの風景をボーッと眺める時間を設けてみて欲しい。
とにかく情報を逃さないようにしなきゃ!!
などという意識が働いて、スマホに釘付けになってしまうのかも知れないけれど、それこそ、「かたより、こだわり、とらわれ」に他ならない。
ひろくひろく、もっとひろく、・・・今日の空が晴れ渡っているように、きっと心の雲も流れ去っていく。
春のお彼岸を前に、太陽の角度がどんどん変わってきている。
今朝の暁光は、とても力強かった。

光はまっすぐに部屋を貫いて、ちょうど真西にある床の間を照らした。
しかも、そこには・・・お札がおいてあるのです。
まばゆいばかりの光は、迷うことなく、ふたつ並んだお札を照らし出した。

北口冨士浅間神社の冨士浅間大神 と、新屋山神社の大山祇大神。

こういうことに、勇気づけられる。
嫌なことがあったら、落ち込んだらいい。落ち込んだ心を見つめて、流していこう。
日本人は「水に流す」民族。まさしく「かたよらない、とらわれない、こだわらない」、自由自在の「空」を抱いているということ。
安心して、悲しんだり、怒ったり、落ち込んだりして、そして、すべて流して、最後には笑おう。
日本人の精神性と「生きる知恵」を学びたい方へ
情報があふれ、社会の状況も目まぐるしく変わる今の時代。
今、人類はかって経験したことのない時代を生きています。
そんなとき、確かな力となるのは「本質」「本物」「普遍的な真理」です。
「かたよらない、とらわれない、こだわらない」という空(くう)の心や、日本人が古来より大切にしてきた精神性は、私たちが自分を見失わずに生きるための、力強い「軸」となってくれます。
日々の喧騒から少しだけ離れ、こうした先人たちの深い智慧や「日本美」、そして自分自身の心を調える「人間学」を、私と一緒にじっくりと学んでみませんか。
私塾マリアカデミィは、年齢や職業に関わらず、現代を心豊かに生きるための知恵を語り合う「現代の寺子屋」です。
この記事を読んで、あなたの心に何かが響いたなら。 ぜひ、その扉を叩いてみてください。お待ちしております。
現在は【和敬美学の会6期】が始まったばかり。今期は身近な日本文化を学ぶ内容となっています。よろしければカリキュラムだけでもご覧ください。

