【拝受】人生は「はい」しかない

起きることはすべて必然とはよく言われることです。

そして、ある程度、人生経験を積めば
「確かにそうだ」としか思えなくなります。

それなのに 時として私たちは

身に起きたことを知らず知らずのうち
避けようと試みてしまいます。


特に悲しいことや腹立たしいこと、
思ってもみないことに対しては

「ちょっと待って」とブレーキをかけて立ち止まってしまうのです。

すべては無常、変化し続ける

しかし、時が刻一刻と過ぎ去るように
すべてのものは止まることがありません。

これを仏教では無常といいますが

無常=自然であり、大宇宙の理です。

そうした中にあって
「ちょっと待って」という意識を持つということは
渓流に石を落とすのにも似ています。

流れを受ける石は摩擦を受けることになります。

これが人間であるならば、ストレスということになるのでしょう。

任せて流れていくことができず抵抗すれば
その抵抗感を生み出している心が摩擦(ストレス)を受けるのは当然
です。

大きな石も長年摩耗することで砕け散ることがありますが
ストレスを受け続けた心が、まるで砕けてしまうように
力を失ってしまうことがあるのも、しかるべきでしょう。

切り開く第一歩は受け入れること


子どものころ受けた躾では
返事は「ハイ」しかありませんでした。

『女子の教養』(致知出版社)では

12.言いつけや言づけに対しては、まずは「ハイ」と答えなさい(P82)

として述べています。

「ハイ」とまず承り、もし別の考えがあるのなら
その後で自分の意見として述べるのです。
「ハイ」と、まずは相手のことを受け入れたので、
相手には、こちらの意見を聴く余裕ができます。

ということは、意見を言いやすくする、対処しやすくする最善策は
相手をまず受け入れることにあるのです。

かつては文字通りの教えであったのですが、
いつしか私は、重要なことに気づかされました。

受け入れること

これは人生においても、恐ろしく重要なことだったのだと。

受け入れるということは、流れを止めず、流れに乗ることであり
受け入れることができれば、自分の意志で対処し切り開ける
のです。

石のように頑なになるのではなく、
さりとて無力に流されるのでもなく、
みずから流れを受け入れていく

急に流れが速くなるかも知れないし、突然、滞るかも知れない。
でも、どういうふうになろうと、
その流れと一体になっているのだから対処が出来る。

人生に起きることを、すべて素直に柔和に受け入れることこそが
力強く切り開いていくことに繋がっていくのです。



気息を整えて静かに受け入れる

大切なのは、慌てないこと。

これがなかなか難しいのですが、とにかく慣れるしかありません。

思いも寄らぬ事、驚くようなことが起きたら

  • 1.臍下丹田に左手をそっと載せる(こうすると丹田を意識しやすくなる)。
  • 2.肺の中に中途半端にある空気を吐く。吐ききったと思ったところで、さらに吐く。思いがけず吐く空気がたくさんあることに気づくでしょう。
  • 3.丹田にためるようにして新鮮な空気を鼻から吸い込む。おなかが膨らんだところで1秒ほど止めて、またはき出す。
    このとき、吐く息と共に肩の力をふーっと抜いていくようにする。
  • 4.何度か繰り返しながら、「なるほど、こういう展開なんだね。さあ、どうしようかな」といった意識と共に丹田に落とし込む。

慣れてくると、知らないうちに丹田呼吸をして
「さあ、来たな」というように
ちょっと少しおもしろがるような、
軽い気持ちでいられるようになるでしょう。

今、少し行き詰まっているなと感じているのなら
勇気を出して、心穏やかに、
今の状況をすべて受け入れてみてください。