女の第三ステージ


カタカナにめっぽう弱い私は
「ライフイベント」などと言われても、あまりピンときません。

何のことなのかなぁと思ったら
誕生、就学、就職、結婚、出産、リタイア、・・・・
など人生の節目となるさまざまをいうらしい。
同じカタカナなら、
イベントというよりも
ステージといったほうがしっくりくるような気がします。

ただ、私はもっと、うんとおおざっぱに
女の人生には3つのステージがある
と、実感しています。

そのように実感するようになったのは
第三ステージを迎えた、たった今。

無我夢中の第二ステージ

女の人生は
第一ステージである娘時代(独身時代)と
結婚して子育てに大わらわする妻・母時代(第二ステージ)と
子育てをいちおう終了し、もう一度
ひとりの女性としての面が前面に出てくる第三ステージ
そんなふうになっていると感じます。

第二ステージのまっただ中にいた時は
年子の育児と仕事とで、とにかく必死。
精神的にも肉体的にも、そして経済的にも
余裕があるとは決していうことができず

もしかして、私、このまんま
気づいたらおばあさんになっているのかしら?


そんな想いがふっとよぎったりしていました。

ちょうどその頃、ものすごく素敵な
50代のマダムの取材などをしていたのですが、

わたしが50代になった時は、
どんなにかしぼんでいるだろう・・・


そんなことを気弱に思ったりしていました。

だけどとにかく、その時すべきことを夢中でする
ただそれしかできませんでした。

不器用で、いくつものことを一度に出来ないわたしは

子どものいる時間は子どもに全力で向かって
学校にいっている間に、とにかく超特急で仕事して・・と、
そんな日々。

やがて両親の介護が加わり
実家の近くで暮らしていた私は
一日二回、朝と夕方に、自転車を飛ばして
両親の食事を作りに行くこともしました。

見かねた姉が、両親が二人で暮らせる
ケアホームを見つけて手続きをしてくれたので
負担はだいぶ減りましたが、
それでもホーム任せにはできず 介護はそれなりに続きました。

その一方で仕事をしますから
あまり増やさないようにする配慮をしました。

仕事に多くを割かねばならなくなれば
子育てと介護と、それに奥さんらしいことも
どれも中途半端になりそうな気がしていたのです。

全部をやりたいと思えば
全部を「そこそこ」「とんとん」にするほかないのでしょう。
少なくともわたしは。

そんなふうでも、本当に

無我夢中

この言葉がぴったりの日々でした。

そして気づいたら、いつしか私は第三ステージへの
階段を駆け上っていたのです。

「わたし」に戻る第三ステージ

下の子が二十歳を迎え
上の子は大学を出て就職し
父が逝ってしまい わたしは五十路になりました。

50歳を迎えた朝
しみじみと鏡に映った自分の顔を眺めました。

そして、クスッと笑ったのです。

鏡の中の私が わたしに笑いかける

それは、案外、やさしい笑顔でした。
それに予想していたより、しわくちゃに枯れてもいませんでした。

「おはよう わたし。どうぞよろしくね」

気づけば、いろんな物事が つかず離れず
とても心地の良い距離感になっていました。

それに、時間というプレゼントをいただきました。

その時間を、自分と向き合い、自分をしつけ、自分を手入れし
自分のご機嫌をとりながら、自分で自分を褒めながら
過ごすようになりました。

つくづく思ったのは
第二ステージを無我夢中でやってきてよかったということ。

焦って家事も育児も仕事もと欲張るのではなく

今は家族が一番

そう自分を納得させて、それを楽しむことが出来たこと
これがよかったと心から思います。

子どもは、満足すれば巣立っていくと思っていました。
だから、おなかいっぱい、満足するまで愛情を注いだつもり・・・

もっとも、実際、子どもが離れていくときに
がんばって子離れしなければならないのは私でしたけど。

そういう寂しさとともに、優しい微笑みとともに
もう一度、ひとりの女としての「わたし」が佇んでいる。

後半人生は、秋から冬にたとえられますが
今の心境は、乾いた秋風の吹く夕暮れ、といったふう。
でも、そこには、第二ステージでがんばったことによる
豊かな実りも伴っているのです。

心の中に たわわに実った 人生の果実を

私はこれから、冬に向けて熟成させていく。

そうした意味で、第三ステージは本番で
クライマックスなのでしょうね。

仕事で、しばしば幼児教育の関係で講演をしますが
今、子育て真っ最中の若いお母さん達には

楽しみにしていてね、
子育ては大変だけど、その大変な今を夢中にやり遂げたとき
ものすごく素敵な第三ステージが待っているから

そんなふうにお話ししています。

そして、年を重ねるのは、なかなか良いものだと。
年を重ねた時の、それなりの美しさも、
なかなか味わい深いものだと。