夕暮れを独り

朝から午後にかけて筆を執り
日が傾き欠けた頃に散歩に出る。

こういうリズムが私にはしっくりくるのですが
思えば 亡き父がそうでした。

書斎で仕事を終えた父が階下へ降りてきて
「どれ、お散歩に行くかい?」
そう私に声をかけるのは
黄色みを帯びた日差しが窓から斜めに差し込むころでした。


もっとも、私はもっぱら独りで散歩に出ます。
それに父が私を散歩に誘ったのも
私がまだ小学生にもならないころのことでした。

書くのは楽しい一方で、やはりどうしても神経を使います。
とがった神経を休めるには、ゆったり風景を楽しみながら歩く
これがとても効果的なのです。
歩くリズムとともに、だんだんと脳にこもった熱が冷めていく。

お豆腐屋さんに八百屋さん、魚屋さん、花屋さん。
寄り集まって井戸端会議のご近所さん。

こういう風景が、私を現実に引き戻してくれます。
書いている時、たまに、どこにいるのかわからなくなるのです。

昨日は、初めて三崎港に行ってみました。
古い港町の風景は、昭和時代そのままといった風情
それをあえてそのままに
近ごろは本屋さんやカフェなどもできているみたいです。

お散歩とセットになっているのが「お茶」

よさそうなカフェを見つけたら、入ってゆっくり過ごします。

このお店は、営業は「日暮れまで」とあって
それがとても気に入ったので入ってみました。

自家製レモネードをソーダ割りで。

西日がとてもまぶしいです。

昔からこうやって、ひとりでぶらぶらするのが好きでした。

近ごろは「孤の時代」などともいわれていますが
もともと私は「孤独を愛する」タイプだったなぁ、などと思います。

孤独はすべて優れた人物の運命である。

これは、ショーペン・ハウェルの言葉ですが

さてさて、「優れて」いるわけではないのですが
どうやら私にとって孤独は運命のようです。


もちろん、気心知れた人と一緒に出かけることもあります。

そういう場合は、お散歩というより、ほんとうにお出かけになりますが。

独りのお散歩で、こんな感動的な風景を見つけたときは

次は、誰かを誘ってみよう 

そんな気持ちになります。

そうしてみると、独りというのは
独りといえども、誰かと共にあるものかもしれません。

いえ、誰かと共にあるからこそ
独りになれるのかも知れません。

お盆。
家族を感じる時期です。