その日その時 自分を捧げる


祖母の教えは常に進行形で
わたしに 絶えず、その意味を考えさせます。

だから今でも、私の中で「女子の武士道」は終わっていないのです。

今日を最期と生きるのです


今日を最期と生きる。

これは武士道の核心となる教えです。

わたしは いつも心のどこかで自問しています。

本当に今日を生きているか。
いま、この瞬間を、二度来ないこの時を、精いっぱい生きているか。

答えは常に

たぶん・・・

としかなりません。

それでも、このところ・・・もっと具体的には50歳を過ぎてから

「今日を最期と生きる」とは、こういうことかも知れない
この手に掴んだことがあります。

それは、今この時を共に過ごしている人に、自分を捧げ尽くすこと

もう二度と会えなくなっても、
それでも、あの人のためにここまで尽くすことが出来たのだからと
自分を慰めることができるくらいに、
あらんかぎりの思いやりと気遣いと愛情と慈しみとを
その人、その場にふさわしい言葉と形に込めて相手に捧げること。


仕事でも遊ぶことでも、たいていは「人」が関わります。
だから、今目の前にいる人を大事にすることは、

時間も空間も、そこにあるありとあらゆる物も大切にすることになるのです。

未熟 未完成で かまわない

でも、そう心がけて、精いっぱい尽くしたとしても

明日、死んでしまっても大丈夫?という問いかけには

たぶん・・・・

という答えしか出てこないのです。

どこまで尽くしても、どんなに尽くそうとも

きっと、やっぱり、「たぶん」としか思えない。

終わりがない と、いうことです。
これでよし ということには、ならないのです。

尽くそうとしても、それはずっと未完成で
どんなに精いっぱいであっても、自分はずっと未熟なのです。


だけど、だからこそ良いのです。

だからこそ希望が持てる。

明日死んでしまうかもしれないけれど、もしまだ生きていたら

また精いっぱい自分を捧げ尽くそう


このようにささやかな決心をして眠りにつく夜は
とても安らかです。

私たちは結果を求めすぎているのです。

答えがあるものだと、信じている。

だけど、ほんとうは結果も、答えもないのであって

だからこそ、歴史は刻まれていく。永遠に・・・・

今日を心から慈しみ楽しむ


自分を捧げ尽くす などというと、
なんだかずいぶん切羽詰まった感じを受けるかも知れません。

でも、もし、我慢しながら、嫌々必死で尽くそうとしているとしたら
それは尽くしたことにはならないでしょう。
もし自分が誰かから、そのようにして尽くされたら
嬉しいでしょうか?
嬉しいと言うよりも、気詰まりになりそうですね。

そう考えていくと、まず、自分が楽しむことが一番なのです。

誰かに尽くす時に、どんなふうにすると自分が楽しいか

それを考えて、その楽しい方法を実行するのです。

それが その日を大切に慈しむことにもなります。

誤解を恐れずにいえば、どうすれば楽しいと思えるか

実は、ここに秘密の鍵があったのです。

・・・・なんていうと、まるで教え諭して居るみたいに偉そうですが

やっと私も、この三年ほどで、はっきりと
この手に掴むことが出来たのです。

ですから、今日も笑顔で過ごしましょう。

笑顔は、最高の愛の表現です。