茶の心 すべてはお客さまのために

ようやく見つけた師匠



昨年から、御年92歳の先生に
お茶のお稽古をつけていただいています。
ちなみに「裏千家」です。

裏千家の指導者の中でも
大宗匠と同じ年代、むろん最高齢グループです。

なぜ、今の先生を選んだかといえば
私の尊敬してやまない大宗匠と同じ時代の茶の湯を身につけた人に
指導していただきたいという強い思いがあったためです。

実を言うと、もう何年も前から、どの先生に習おうかと
探していたので、今の先生に出会ったときは
ようやく見つけた、という、思いでした。

厳しくすると生徒さんが来ない


先生は、幼少期からお茶のお稽古をされていたという
いわば筋金入りです。
なんでも、お母様のお茶の先生が月に何度かお見えになり
それで、「あなたもお稽古してごらんなさい」とすすめられ
いやいやながら、されていたのだとか。
家にわざわざ先生がお稽古にお越しくださる、ということから
先生のお育ちが想像できます。

それはともかく、先生はふだんはとてもお優しいのですが
ひとたびお稽古となると、とても厳しいし、
ご指導も非常に細かいのです。
そして、かなりしばしば

「ただ、今はこのようなことをおっしゃる先生は、ほとんどいらっしゃらないのよ」

と、仰せになります。

その理由は、そもそも知らない、というのがまずひとつ

そして、もうひとつは

あまり厳しくすると生徒さんが来なくなってしまうから

ということだそうです。

生徒さんが来なくなると困るから、
細かいことは言わないようにしている。

これは・・・私は大問題だとしか思っていません。

伝統は革新を重ねながら継承されていくものであり
裏千家では、代々のお家元が考案したお手前もあり
その時代によって変化があるのは自然の成り行きです。

けれど、「厳しくすると生徒さんが来なくなってしまう」というのは、
これは、そうしたものとは異なるレベルの話です。

茶の湯に限らず、日本は、この先、伝統を継承していくことが出来るのだろうか。

そう思うことは、年々多くなっていきます。

もしかしたら、100年後には、かなりのものを失っているかもしれませんね。

相手の身になって考えれば
まちがえることはない


先生のおっしゃることは、何気ないことが多いのです。
でも、ひとつひとつの言葉が
先生がおっしゃると、本当に深く心に響き
「ああ、そうだなぁ」と、感動を伴いながら、納得させられます。

そのひとつが、「相手の立場になれば、まちがえることはない」というもの。

お茶には、もてなしのすべてが凝縮しています。
一から十まで、ひとえにお客さまのためが基本です。

「お相手の立場になって考えれば、どのようにすれば良いかがわかるんです。それを考えないから、今のひとは、いろんなことがうまくいかなくなってしまうのね。その結果、ストレスを抱えることになるんです」

ほんとうに、そのとおりだと思います。

いま、つくづく、社会全体から「礼」が失われていると思う。
なんとなくですが、相手を思いやることを
面倒くさがっているような、そんな人が多いように感じます。

自分は自分 他人は他人

そんな考えが当たり前と思っているからかもしれません。

確かに、当たり前です。

でも、だからこそ、思いやりが必要なのではないかと
そう思うわけなのです。


私も、細かいことを言わせていただくことが多いです。

表情ひとつ
姿勢ひとつ
返事ひとつ
挨拶ひとつ

これを、いかに気持ちよく行えるか。

気持ちのよい表情
すっときれいな姿勢(それに立ち居振る舞いも)
「はい」「ええ、そうですね」「それはすてきですね」
「大変でしたね・・・」
返事と、それに、相づち。
相づちの仕方で、寄り添ってくれているかどうかが感じられます。
もちろん、寄り添ってもらえたほうが、嬉しい。

そして、挨拶。

だら、っとした声で「おはよう」と言われたら
元気が吸いとられたみたいに、がっかりします。

たとえ少しくらい元気がなくたって、
自分から元気な声を出してみたら
そのほうが、かえって元気になれるかもしれません。

いま、世の中が、居心地悪いと感じている人は多いと思います。

そう感じたら、まずは自分から

「気持ちの良い人になる」ことではないでしょうか。

なぜなら、他者を変えることはできなくても
自分を変えるのは、努力すればできるから。

そして、自分が変わることによって
相手も変わるんだ、ということがわかったら

そのとき本当に、すべては自分次第だと理解するのだと思います。