有名になるのは簡単だが本物になるのは難しい
平澤興先生の名言より

平澤興先生の言葉には
励まされるというよりも、腹の底から
燃えるようなエネルギーがわいてきます。
致知出版社から出ている平澤興先生の語録
『生きよう今日も喜んで』を
ふと手にして開くたびに、生きる力を与えてもらいます。
いくつもある名言から、特に私が好きなもの。
有名になることは、それ程むつかしいことではない。
しかし、本物になることはむつかしい。
よく斬れる日本刀で
核心をすぱっと斬っている言葉だと思います。
有名になりたい人は、大勢います。
時代が進むほどに、その傾向は強くなってきたと思う。
こと情報化社会の今、
誰もが自由に動画でも何でも発信して
いうなればネット界のプチ有名人が次々と現れます。
さして有名ではない私がこんなことを述べると
負け惜しみだと言われかねないことを承知で申しますれば
ますます有名になることは、
さほどむつかしくはなくなったといえましょう。

本物になるには根気と辛抱と
何より多くの時間を必要とする
本物とか真理というものを
私は比較的早い時期から追い求めてきたほうだと思います。
中学生・・・13歳のころには、はっきりとそういう意識がありました。
軽佻浮薄なものが、どういうわけか
ものすごくいやだった。
その想いはどんどん強くなって、
私は今も、本物になりたい、できるだけ近づきたいと
思う以前に、常に心の中に抱いているのです。
ところで、その中学生のころといえば
お湯を注いで三分すれば食べられる「カップラーメン」が
かなりの市民権を得ていました。
母がそうしたものを禁じていましたが、
自分でも嫌いでした。
そのとき強く思ったのは
これから人間もインスタントになっていくな
ということ。そして、
辛抱することが出来ない人が増えるんだな
とも思いました。
ゆえに、
本物と呼べる人は、極端に少なくなるだろう。
生意気にもそう感じましたが、その通りになったと言っていいと思います。
本物になるには、多くの時間を要します。
昔の職人さんは、下積みは十年といいました。
師匠がするのを下働きをしながらまねして、十年です。
そこから、やっとスタート地点です。
根気も忍耐も、続けていく勇気も実行力も必要となる。
今や「レンジでチン」の時代ですし、
ネットを検索すればすぐ情報も手に入る。
よけいに辛抱できない世の中になっているわけです。
本物のひと

そうしたなかで、今、信じられないほど下積みをした俳優さんがいます。
私は、あえて彼を「魂友」と呼ばせていただいています。
少し前に再会したときに、
フェイスブックに記事を投稿したのですが、
このブログに、再掲させていただきます。
【魂友】
昨日、久しぶりに彼と会った。
十年来の友人で役者の小林 和寿君。
約三年ぶりの再会だった。
Facebookに投稿される彼の近影に
「至ったな」という確信があった。
果たして目の前に表れた彼は
見事に「空」になっていた。
いっさいの無駄な力が抜け
限りない自由の中に居る。
もはや「伝えよう」としなくていい。
なぜなら、彼がそこに佇むだけで
「否応なしに伝わって」しまうから。
もう自己PRなど、
およそ無益なことはしなくていい。
なぜなら、周囲が彼を放っておかないから。
本物の自信がついたから
彼は今、本当に謙虚になった。
もう必死に気張る必要もない。
なぜなら、常に「今、ここ」を生きることが
当たり前の状態になったから。
「至ったな」と確信してはいたけれど
実際に目の前にして、本当に至っていると思うと
ただもう嬉しくてならなかった。

武士道の話になって、私が
『仕事で活かす武士道 北条重時の家訓48』に記した
「武士道とは愛することと見つけたり」
という言葉を示すと、
彼は、顔をぱっと輝かせて
5月の一人芝居は、まさにそれがテーマなんだという。
作家と役者、ぜんぜん別の道を
別々のところで、それぞれ歩いているけれど
なんだ、同じところに来ていたんだね。
それがまた、嬉しかった。
君、そこにいたんだ・・、ってね。
再会に際して、私は彼にある「はなむけの言葉」を用意していた。
それは、平澤興先生の言葉。
「有名になるのは簡単だが、本物になるのは難しい」
今こそ、この言葉を彼に捧げたい。
彼は難しい道を選び取って、見事、「本物」になった。
道を辿る際、主として剣と禅の修行をした。
それは役者という生業には直結していない。
だから、
「こんなことしていていいのか」
「これが何になるのか」と
おのずから迷いは生じる。
それでも、迷いながら、悩みながら、歩んできた。
それがどんな苦悩を彼に与えたか、
本当には、彼しかわかり得ない。
だけど私は遠くにいて、静かに祈り続けていた。

出会って間もない頃、
私はずいぶん厳しいことを彼に言った。
「そんなことで、あなたホントに満足なの?自分のこと、納得させられるの?」
そして、こうも言った。
「あなたは絶対アメリカに渡った方がいい。ハリウッドに斬り込むのよ!」
厳しいことを言うのも
スケールが大きすぎることを言うのも
彼がそれだけのものを持っていると
信じて疑わなかったからに他ならない。
だけど、その言葉通りできるひとは、
万に一人くらいだろうと思う。
しかも、言ってるのが、この私なんだから。
それこそ、有名な、重々しい肩書きを持った
「大先生」ではない。
それでも、私を信じてくれた。
彼は、いよいよアメリカに行く。
剣を持って、ハリウッドに斬り込みに行く。
活動の拠点も完全にアメリカに移すため
向こうで暮らすのだという。
いよいよ、だね。
日本にいたって、たまにしか会わないのに、
遠くアメリカに行ってしまうと思うと
やっぱり淋しい。
だけど、私は私で
『女子の武士道』の翻訳版をひっさげて
アメリカを、日本の民族衣装である着物で
堂々凱旋するつもりだから
また再会できるね。
そして、初めて会った時に話していたこと。
「ね、私の原作を映画にしたら、主演は絶対あなただからね!!」
この夢を、あらためて、実現しようねと約束し合った。
「いっそアメリカで制作しようよ!」
「それいいね!」

最後に、いちだんと嬉しいことを教えてもらった。
奥さんが、マネージャー役をしてくれているという。
いい奥さんをもらったんだ、ああ、よかった、、
ここは、嬉しいと言うより、ホッとした。
奥さんと二人三脚で、彼はまだまだ本物の道を歩く。
和寿君、万歳!
奥さんに深謝!!
固く握手をして別れた後、
私は振り返らなかった。
彼の背中が、ものすごく素敵な背中になっていること
振り返らずとも、見えたから。
『五月の蛍』を映画に
小林君と、二人で描いた夢。
『五月の蛍』を映画化しよう
実は、原稿を書いているときに
私にはすでに、映画になっている状況が
ありありと脳裏に展開されていました。
そして、美濃部少佐を演じるのは
彼しか居ない、と、思っていました。
だから、これはきっと実現します。
いつになるかは、わからない。
すべて天の采配と思っています。
そのときは、
本物を追い求めてきた人たちが結集して制作する
「本物チーム」での映画づくり
ぜひともそうします。
じゃないと、私、いやだもの(笑
