気づき~ありがとう、私のからだ。
骨が折れてしまうというのは、痛いものだなぁ・・・。
病院からの帰り、足を引きずりながら歩きつつ思いました。
がんばって歩くのだけど、なかなか前に進まなくて
途中、くたびれて、何度か立ち止まりました。
いつもなら10分の道のりを、いったいどれくらいかかって歩いたことか。3倍どころではなかったかもしれません。
右足をかばって歩くので、左足がだんだん痛くなりましたし、
姿勢も奇妙に歪むので、背中や腰も、重くなりました。
必死で家に帰り着き、ホッと一息ついてしばらくしてからのこと。
ふと、閃いたのです。
体って、すごい・・・・。
奇跡だ!
これを神様の御技といわずして、なんと言おう!
他の部位が全力で患部をかばっている
考えてみれば、よくぞ右足の中指と薬指の骨折だけで済んだものです。
私の体重が一気にかかってくるのを、私の足先は必死に支えてくれた。
足指の骨なんて、本当にか細いのです。それがしっかり支えてくれた。
私は思わず、腫れてきた足先に触れながら
「よくがんばってくれたね・・・。ありがとう」
そう、声をかけていました。
愛しさがあふれてくるようでした。
そして、左足。
相棒の右足が怪我をしてしまったわけですから、そのぶん、左足はがんばっています。
ふだんは右足と分担している私の体重の多くを、一心に支えている。
そして、なんとしても倒れないようにがんばっている。
左足だけではありません。
腰も背骨も肩も、体全身どこもかもが、右足の患部をかばうために
絶妙なバランス感覚で支えているのです。
その調和といったら!
私が意識してすべてのバランスを取っているのではなくて
体が、体の持つ機能を使って、それぞれの部位が協力し合いながら
私が倒れたりしないように、がんばっているのです!
いままで、自分の体をそんなふうに意識したことはありませんでした。
それに気づいて、私は自分の全身が愛しくてたまらず、
自分で自分を抱きしめていました。
出てくる言葉は、ただ、
ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・
それだけです。
よくがんばってくれたね、私の右足。
左足さんも、本当にありがとう。
肩も腰も、背中も、腕も、みんなみんな、ありがとう。
賜ったいのち、賜った体と心
人が、自分の存在を自覚するのは、いつのことでしょうか。
もしかしたら、自分が存在して日々生きていることが当たり前すぎて
なかなか意識できないかも知れません。
私は自覚している
そう思っていたとしても、心の奥底から、つくづく噛みしめるほどに理解しているとは言いがたいかも知れません。
実際、私がそうでした。
このいのちは天から賜ったもの、
この体は、遡れば何万、何千万にもなるご先祖様が命を繋ぎ
そのあげくに、私の父と母が出会って、いただいたもの・・・。
そんなふうに思っていましたが、
今回のように、つくづく全身で実感したことはなかったと思うのです。
今では、私という存在が「奇跡」にほかならないと思えます。
そして、私がそうであるなら、
ひとりひとりすべてのひとが奇跡に他ならない
そう、心から思えます。
たった二本の、細くて小さな骨を折っただけで、こんな気づきをいただくことができるなんて、神様、こんなに私を甘やかして、大丈夫なのですか?
大切な私の体。
愛しい私の体。
その体に宿る心もまた大切な愛しいもの。
大切な私を、やさしくいたわりながら、ちゃんと治していくことといたします。

どうぞお大事になさってください。
細田さん、ご心配くださりありがとうございます。経過は大変良好です。