古墳巡りは金木犀の香りと共に

過去に例を見ないという巨大台風が通り過ぎた二日後、
かねてからの約束で埼玉県の行田を訪れました。

駅に降り立った瞬間、私を迎えてくれたのは
ひんやりとした空気に含まれた金木犀の香りでした。

とはいえ、まだそれほど咲き出してはいないと見えて

姿は見えねど、その香が薫る・・・という状態です。
私は、かなり嗅覚が敏感なので、小さなつぼみがついた程度で
金木犀の香りをかぎつけてしまうのです。

行田は古墳の宝庫です。

だいたい七世紀前半のものが多く、中でも稲荷山古墳は
鉄拳が出土されたことでも知られている代行的な古墳です。

こちらは前方後円墳の「前方」のほうです。
この階段をどんどん登っていくと、すこし平地が続き、
さらにまた階段を登ると、「後円」の頂上に辿り着きます。



頂上には、このように石室内部の状況が説明されています。

けれど、私が一番驚いたのは、頂上に立って振り返ったとき
真正面に遠く富士山が眺められたこと。

これはまちがいなく、当時の人々が
富士山を神様として崇め、あえてその方向を選んだのでしょう。

残念ながら今回は富士山を眺めることが出来ませんでしたが
そこにあるのがイメージできたので
合掌礼拝いたしました。



稲荷山古墳を訪れたのは、行田に到着した翌日です。

前日に比べて、金木犀の香りがいちだんと濃くなっていると思ったら
その日、一気に咲き出したようでした。

まだまだ満開はこれからですが、それでもずいぶん開いています。

行く先々が甘い香りに包まれていました。



このところ私は、古代、中世、近代、近世と
時代を自由自在、縦横無尽に行ったり来たりしています。

「武士道とは何か」という、ただひとつのことを突き詰めようとしているうちに、そうなっています。

今度の旅でも、古代に触れることによって
中世の歴史的出来事についての理解を深めました。

本来、時はひたすら流れ続けているように
時代もまた、それこそ大河のように流れ続けています。
それを「平安時代」とか「江戸時代」などという名称をつけ区切ることによって
私たちは、あたかも時代に区切りがあるように錯覚しているのかもしれません。
それが、史実への理解に限界を与えているような気がします。近ごろは、ますますそれを感じます。

歴史の話を、『古今光明』に書こう書こうと思いながら
なかなか書けずにいるのは、そんなことが原因でもあります。

ブログという さらりとして簡単で、どちらかといえば短い

そういう記事にすることが、本当は出来ようはずも無いのでしょう。

ですから、いずれ今回のことも、かなりボリュームのある記事として出すことになると思います。

いつになることか、ご期待ください・・・とは申し上げずにおきましょう。