ひとりの食事に礼(マナー)は不要?
先日、ある老舗企業で研修講師をさせていただきました。
ぜひ懇親会もご参加を・・・とのことで、某一流ホテルのディナーにも同席させていただいたのですが、実はこの懇親会、参加者にテーブルマナーを学んでいただくためのものでもあったのです。
会場にはマナー指導の担当者もいました。
そして、テーブルには、そのホテルで使われているテーブルマナーについての冊子が・・・。
最初に指導担当者が、その冊子の冒頭にある主旨を読み上げました。
そこで私は、・・・カチンときたのです。

なぜなら、なぜマナーは必要なのかを説明する文章に
「自分一人で食事をするのであればマナーは必要ない」ということが書かれていたからです。
これは、とんでもない認識ですね!!!
わたし、こういうことには、かなり憤慨するのです。
もちろん、そんな感情はおくびにも出さず、静かににこやかにしていましたけど。
一人の食事からマナーを!毎日の食事から礼を!
私が憤慨した理由は、いくつかありあます。
まず第一に、「食べ物への礼」はどうなるのか、ということです。
どんな食べ物にも命があります。私たちは命をいただくことによって、自分の命をつないでいくことができるのです。
そうしたことに謙虚に向き合えば、たとえ一人の時であろうとも、食事のマナーをそれなりきちんと守りながら美しく感謝を以ていただこうと思うはずです。
第二に、ふだんの食事から、ある程度テーブルマナーに則っていないと、動作が身につきません。
カトラリーの使い方、グラスの持ち方、スープのいただきかた、サラダの時はどうする?豆料理など食べにくいものはどうする?
洋食に限られたことではありません。
お箸の持ち方、お椀の持ち方、お刺身の順番などなど、和食でもマナーがあります。
基本的なことは、もはやネットでも知ることが出来ますから、ふだんから意識してきちんとしておきたいものです。
そうすれば、とってつけたような様子にはなりませんし、慌てることもありません。
ふだんやっていなくて、そうしたシチュエーションになった時ばかり
「ちゃんとしなきゃ!!」などと緊張するから、妙なことになってしまうのです。
そして、
「これだから堅苦しいディナーは嫌だ」なんてことになるわけですね。
私が親なら、「あなたがふだんからちゃんとやっていないからいけないのよ」と一蹴します。
大人なら、大人の自覚をもって、こうしたことは当たり前にたしなんでおきたいものですね。
基本を身につけてこそ臨機応変が可能になる
和食にも洋食にも基本となるテーブルマナーがあります。
基本を身につけることは、やはりどうしても大切です。
なぜなら、基本が出来ていれば、いつだってそれを壊すことが出来るからです。
礼とかマナーというのは「型」があるものの、現実には、同席した人に対する、極めてパーソナルなものになるのです。
たとえば、ナイフは右手に、フォークは左手に持つものですが、
もし一緒に食事をする人が、けがや病気などで左手が少し麻痺していて、ナイフを使うのは難しい、フォークを右手に持って食べることは出来る・・・となった場合、あなたはどうしますか?
私なら、まず給仕を呼んで事情を話し、すべての料理を右手でフォークないしはスプーンで食べられるよう、盛りつけに配慮するように、そっと伝えます。
そのうえで、お箸なら大丈夫か、その方にうかがいます。
お箸なら大丈夫となれば、お箸を持ってくるように給仕に伝えます。
フォークやスプーンで大丈夫というのであれば、そのようにします。
そして、いざお料理が運ばれてきてお食事がスタートしたら、私もさりげなく右手だけでいただくようにします。
あくまでもさりげなく・・・・。
さりげく、そういうことができるように、話を盛り上げることも大切ですね。
そして、お相手に、決して窮屈な思いをさせないこと。
これは、いわゆる守・破・離ということになるのですが、基本が身についていればこそ、こういうことが可能になります。
そうした配慮こそが、本来の礼(マナー)であることを、
返す返すも忘れて欲しくないなぁと思うのですが・・・・
どうも今は、礼もマナーも、かなりあやふやになっているようで残念です。
