「女中・使用人」洋の東西
女中や使用人、下男下女といった言葉は、ほとんど使われなくなりました。
これらの言葉については、差別的だと感じる人が大半なのかも知れません。
私には、なぜ差別的に感じられるのか、その理由がわかります。
それは、女中や使用人を、西洋的な見方で受け止めているからです。
大切にされた女中や使用人
先に結論を述べてしまいます。
日本では、女中や使用人、下男下女は弱い立場として大切にされました。
武家では、たとえばお正月の支度をする経済的な余裕がなくても
下男下女や使用人には、ちゃんと年末に新年の支度をできるよう、
新しい着物をあつらえてやったり、正月洋の食材も下しました。
しかし、西洋では、こういった風習はありません。
使用人は、隷属している存在でしかなかったのです。
ですから雇っている家の事情で突然放り出されることもありました。
幕末や明治に来日した外国人は、日本のこうした上下関係に驚愕し
その信頼で結ばれている様子を、「西洋においてはまず見たことがない」と述べているのです。
花嫁修業でもあった女中見習い
戦前までは、女中見習いはわりと当たり前にありました。
私の生まれ育った街では、山の手のエリアや大森の山王、洗足のあたりなどに立派なお屋敷が多く、そにはたいてい若い娘の女中さんがいました。
女中の面倒を見るのは、たいてい家の女主人である奥さまです。
それが、家事一般のみならず、事細かな礼儀作法にまで及びます。
お茶やお花を習わせ、時には時には古典の読み方までも教えます。
そして、それが女中さんのステイタスになります。
つまり、どこそこの屋敷で女中見習いをしていた・・ということで
いい縁談がやってきたりするのです。
あそこの屋敷の奥さまが仕込んだのであれば、きっと確かだろう。
いい奥さんになって家をもり立ててくれるに違いない。
・・・というわけなんですね。
女中といえども、時には実の娘以上に、きっちり仕込まれたりもしたそうです。
もっとも、実の娘には、それはそれとして教育係など「お付き」がついていたのですから。
つまり、女中見習いというのは、花嫁修業も兼ねていたのです。
というより、立派な妻となり母となるために、しかるべき屋敷で花嫁修業をする・・・というのが女中ということがいえると思います。
女中に居丈高に振る舞うなんてあり得ない
女中というと、こき使われてしまうイメージは
戦後のドラマや映画などを通じて、どんどん広まったのだと思います。
これもGHQの作戦ではないか、などと詮索したくなりますが
そういうドラマなどをちらっと目にするにつけ
「これは女中や使用人のいない家の人が作ったものだな」と私は思ってきました。
私の実家にも女中がいましたが、私がちょっと生意気な口をきいただけで、祖母から直々に叱られました。
祖母が直接叱るなどということは滅多にないことです。このことは、本にも書きましたが・・・
家のために尽くしてくれている女中に対して、年は幼くとも「お嬢様」という立場の者が、なんという無礼な口の利き方をするのか。
みっともない!ということになるのです。
女中や下男下女、使用人というと、それだけで「虐げられた立場」と決めつける風潮は、実は静かに、本来の日本人のあり方や精神性を葬り去っている働きに、私には思われるのです。
